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阿部憲夫【エンパシーライティングコーチ】のブログ

プロフィール

ブログ名
阿部憲夫【エンパシーライティングコーチ】のブログ
ブログ紹介
経営革新・財務体質強化・労務人事を支援する福島県のワンストップ・コンサルティング会社代表のブログです。
日頃感じることを暦の二十四節気にのせて「想い」を綴ります。
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共感をいただく文章は【型】が大事です。

2016/10/23 10:15


この講座は、グイグイ前のめりに売り込む時代から、共感ベースで、仲間を増やすように、
結果を出す時代にシフトし、インパクトのある結果をもたらすセールスレターが書けるようになる講座です。


開発者の中野巧さんは言います・・・、

大人になり社会にもまれるうちに、自分自身の内面と向き合う時間は、
知らず知らずに犠牲にされていきます。
しかし、エンパシーチャートを描き始めると、
大切な誰かに深く想いを寄せたとき、相手という鏡を通して、
あなたの中に流れる本当の自分を見出します。

そして、大切なことは、文章力というスキルやテクニックではなく、
“ 大切な人に、大切なメッセージを、
大切に伝えること ”だと気づかされます。

あなたはいま、メール、ブログ、ホームページ、メールマガジン、
セールスレターやフェイスブックなど、さまざまな方法で自由に情報配信ができます。
あなたが表現しないこと、
また、表現するための適切な方法を持たないことは、
あなたの言葉を待っている世界の誰かにとって大きな損失です。

あなただけではなく、ひとりでも多くの人が、共感を生み、
相手と自分自身をハッピーにするメッセージを表現
できるようになれば、その広がりは、あなたやまわりの人たちの未来の扉を開きます。
ぜひ、まずはあなたから、ワクワクが待っている未来の扉を開いてください。


たった3時間の投資で、結果と共感を生む文章が書けるようになる、
基礎的なメソッドを学びませんか?
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季節は「立夏」、私の大好きな季節です。 新緑の感じが白から柔らかな緑へ変化していきます。

2014/05/06 22:29
【ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく】
大伴家持 万葉集 巻二十 四三四六番

雲雀(ひばり)は春を告げる鳥として別名「告天子(こくてんし)」とも言われ、
春の晴れた日に空高く上り舞います。ひばりの語源は「日晴れ」の時に飛び舞うからともいわれるそうです。

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(昨年とあるホームセンターの店頭でへたっていた芝桜(80%引@40で購入))

この時期のHappiness Island(福島)の野山は、【色】が一気に変化します。

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(玄関にあるウエルカムガーデン:花の名前は忘れました(^^;))

私の住んでいる近くの木々も、木の種類によっていろいろな表情を見せてくれます。

若葉の色によって、白っぽく見えたり、紅葉しているかのように赤色に見えたり、
最初から濃い緑色の葉はなく、時間の経過とともに【色】づいていきます。

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(もうすぐ10年になるブルーベリー、夏から初秋に甘酸っぱい実を恵んでくれます)

ブルーベリーの花言葉は思いやり、親切、信頼、好意だそうです。
実つながりではないですが、次の木も我が家の樹木の中で10年以上の選手です。

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(我が家の冬の必需品、かりんはちみつの源料、花梨の花)

花言葉は優雅、唯一の恋、豊麗、可能性があるだそうです。


春は木々の花も一気に【色】付き、華やかになります。
花の【色】ももちろん好きですが、私が最も好きなのは遠景の木々の色です。

遠景の木々の【色】の変化は1日、1日と変化していきます。

若葉の色も、木の種類によって様々です。
薄い緑色だけでなく、産毛によって白っぽいく見えたり、種類によっては赤い葉を出すものもあります。

赤い若葉は遠くから見ると「春先に紅葉?」と思ってしまうくらいです。

なぜ赤いかと言えば若葉を有害な紫外線から守っているとされています。

(詳しくは下記を・・・出典:日本植物生理学会 「質問コーナー」より)



「質問」:バラの枝の先にある芽(葉)が赤い色なのはなぜですか。登録番号: 2053 2009-08-18
 バラの葉は緑色なのに、枝の先にある葉(芽)は赤い色をしています。他の植物でも、葉が小さいときは赤い色をしているものを見たことがあります。枝の先の葉が赤い色をしているのはなぜですか。
小学生 さくらももこ

「回答」:さくらももこ さま

バラの枝の先端にある新芽の葉が、なぜ赤い色をしているかについてのご質問ですが、この様な枝の先端についている若い葉が赤くなるのは、多くの植物について見られています。
特に、春、新緑の頃、落葉樹の新芽が緑になるまで、しばらくの間、赤くなる種が多く見られます。バラの場合も、赤い色をしている新芽に印をつけておき、枝が伸びると印をつけた赤色の葉が、クロロフィール(葉緑素)の多い緑色になっていくのが見られるはずです。
このことから若い葉は赤色ですが、枝が伸び赤い若い葉が成長するにつれ、赤色が消え成長した緑色の葉になります。
 
若い葉に含まれている赤色はアントシアニンとよばれる色素ですが、葉の細胞の中では主に液胞とよばれるところにあります。一方、緑色のクロロフィールとよばれる色素は、光合成が進行する葉緑体に分布し、これによって植物にとって重要な二酸化炭素の固定(光合成)が進行します。
 
それではなぜ、若い葉がアントシアニンをたくさんもっていて赤色に見えるのでしょうか? 若い葉は赤く見えますが、クロロフィールはゼロではありません。若い葉は光合成を進行させるための葉緑体を作り上げている段階ですが、まだ、太陽光の強い光、太陽光に含まれている紫外線による害作用を防ぐことはできません。
ヒトが海水浴に行けば太陽光によって皮膚が日焼けでヒリヒリしますが、葉も同じように可視光、紫外線によって生ずる活性酸素による害作用を受けます。
若い葉はこれらの光による害作用を充分に防ぐことができないため、アントシアニンによって太陽光を遮り、葉緑体が害作用を受けないようにしていると考えられます(ヒトの皮膚の日焼けを防ぐための“日焼け止めクリーム”のような役割)。
しかし、葉が成長して、葉緑体に太陽光の害作用を防ぐ機能が充分に発達すると、アントシアニンによって太陽光を遮る必要がなくなるためにアントシアニンはなくなり、葉が緑に見えるようになります。

葉や根がアントシアニンによって赤くなることについて、本質問コーナーの質問登録番号2027, 2045に対する回答にも参考になることが記されていますので、これらもご覧下さい。

浅田 浩二(JSPPサイエンスアドバイザー) 
出典:日本植物生理学会 「質問コーナー」より




植物は本当によくできています。
移動できない分、目に見えないところでとても努力しているようです。
若葉の産毛も悪い光から自らを守る為だったのですね。


高校生のとき、眉毛を毛抜きで抜いていた時、婆ちゃんが
「ノリ、毛は大切なところに生えるんだ、必要のないとこには生えね!
このげ(眉毛)は、このげのやぐめ(役目)があって生えでんだ。
ぬぐもんでね(抜いてはだめだ)」と言われたことを思い出しました。(笑)

その時、その時の【色】は確かにあります。
時代に合った、その年齢にあった【色】を醸し出したいものです。


Happiness Island(福島)はこれから【色】がどんどん変化していきます。



これから6月ごろまではとても淡い色の変化を感じる季節です。
(秋は濃い色を感じる季節です^^)

山に目を向ければ、さまざまな緑色が重なりあって、
いろいろな色の景色を作り出して迎えてくれます。


萌黄色(もえぎいろ):芽吹いたばかりの草木の色

萌葱色(もえぎいろ):ネギの芽の色

黄緑色(きみどりいろ):黄色と緑の間色

緑色(みどりいろ):黄色と青の中間色

深緑色(ふかみどりいろ):濃い緑色

木賊色(とくさいろ):トクサの茎を模した黒っぽい緑色

青磁色(せいじいろ):青磁に似た薄い緑色

緑青色(りょくしょういろ):緑と青の間色

出典:JIS慣用色名『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2014年5月6日 (火)14:31



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(亡き義母から鉢分けを頂いた鈴蘭)
スズランの花言葉は希望、純愛、幸福が戻ってくるだそうです。


木々の色だけでなく、私たちの生活にもいろいろな変化が起こってきています。

最も変化といても、私たちが感じ取れる形で【表出】してこない場合も沢山あります。

表出してもその変化を感じ取る心や目を持っていなければ、感じることは出来ません。

自分が気づかなくても、周りが気付かない状態でも変化は起こります。

起こってしまった変化や起こってしまう変化に必要以上にエネルギーを注ぐより、
その変化から未来を創造するエネルギーに変換していくことが大切であると、
環境の変化を自らの変化によって乗り越えていく方法を、
春の木々は私たちに諭してくれているようです。


 このブログを読んでいただいた皆様の目の前に起こる変化も、
皆さんの未来の創造のための機会となることを願っています。


次回の更新は小満の頃です。
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「穀雨」とは春の終わりの節気で、このころに降る雨は百穀を潤すといわれています。

2014/04/28 15:41
【父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる:丈部稲麻呂 】万葉集四三四六番


卯月も間もなく皐月です。
ブログの更新がだいぶ長引いていました。

4月は新たな出会いや環境の変化が目まぐるしくありすぎて、更新をさぼっていました。
こんな心持はたま〜にあります。

たぶん前にあったのが10年ぐらい前だったように思います。
10年間お手伝いをするというお約束で平成7年に会社を設立し、9年目のやはり4月でした。
当時の日記を見ると「脇の下から脂汗が出る」とか、「俺は何のために命をもらったのか」など、
悶々とした日々を過ごしていた心の葛藤がつづられています。

決して冷遇されていたわけではなく、むしろ恵まれた気の置けない仲間と
充実した日々を過ごさせていただいていました。

自分で【10年】と発した言葉の重みを9年目に感じていたのかもしれません。
日記を見ると、何かを変えていかなければと思っていた用です。

二十年ちかく吸い続けていたタバコをやめたのも、その年の6月13日でした。

決意や決断は誰がするものではなく自分自身がするものですが、
この心持の期待感と不安感は良い意味で新たな決意の機会だと感じます。


実は昨年大病(医者からは覚悟をしておいてくださいと言われたこともありました)を患った父に
今年は胃に悪性の腫瘍が見つかりました。

心臓に重い病気を抱え糖尿持ちの高血圧の父の身体は病が巣を作るには、
きっと最適な環境なのでしょう。

巨漢であった父が一昨年だいぶ痩せて、今年更に痩せてきました。

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(昨年大病から回復後に訪れた瑞巌寺の表参道)


「人生は糾える縄のごとく」
正確には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し:史記・南越列伝」

今回の病気で私は父の偉大さを改めて見せつけられました。

病院の先生から
「従来の抗がん剤治療」をするか、
「新たな療法によるがん治療」を行うか問われたそうです。

父は先生に「どっちがいいんだい」と聞いたそうです。
先生曰く「やってみないとわかりません」だったそうです。

父の判断は
「医療の発展になるのであれば、一度は死んだこの身体を遣っていただく」と
言ってきたそうです。


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(瑞巌寺寶華殿の階段を登る父)


本当に「凡事」を大事にする父です。

廊下の雨戸締めや、玄関の掃き掃除のことで文句を言うと、
烈火のごとく叱る父でした。
当たり前のことをやらないと、幼稚園の私に対しても手を挙げる父でした。
もっとも16歳(元服)を過ぎてからは叱られることはありませんでした。

最近はとても丸くなった父ですが、小さい頃は一緒のこたつに入っているのも緊張していました。
その当時父はサラリーマンをしていて、会社で集金業務をしていました。

あるとき母からは「父ちゃんは牧場やりたかったんだって。長男だから家を継がなくちゃならないけれど、
結婚したころは父ちゃんは牧場やりたいって言っていた」ということを聞かされていました。

そんな私は、「自分のやりたいこともしないで毎日バイクに乗って、雨の日も雪の日も集金なんかして、
人に頭下げてお金預かって、何が楽しいの」って思っていました。
また、「外では頭頭下げているのに、家に帰ってくると威張って・・・」とも思っていました。

冬の深々と雪が降る夜、たぶん21時は過ぎていたと思います。私が小学校6年だったか
中学校だったかは覚えていませんが、21時を過ぎて母と一緒に近くの道路まで出て行ったとき。

父はタイヤの回らなくなったバイクを懸命に押して歩いてきました。
その日は立子山という地区に集金に行っていたらしく、
お客様の都合で夜に集金にお伺いする約束になっていたそうです。(大人になってから聞きました)

途中、何度も、何度も、なんどもタイヤに詰まった雪を取り除き家に戻って来たそうです。
父の軍手の先がボロボロであった様子と、家に帰ってから私が泣きながらは雪を掻きだしことを、
今でも鮮明に思い返すことができます。

タイヤに詰まる雪を、掻き出しても詰まるつまる雪を、こんなになりながら、
バイクを押してというよりは引きずって還ってきた父が、
きっといとおしく思えたのかもしれません。

それまでは怖くて、恐ろしくて、威張っていて、大っ嫌いな父でしたが、
その時から父に対する見方が少しずつ変わっていきました。



「最上のわざ」 ヘルマン・ホイヴェルス『人生の秋に』

 この世の最上のわざは何?
 楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、
 しゃべりたいけれども黙り、
 失望しそうなときに希望し、
 従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
 人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
 弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
 
 老いの重荷は神の賜物、
 古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 
 まことのふるさとへ行くために。
 
 おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外ずしていくのは、
 真にえらい仕事。
 
 こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

 それは祈りだ。

 手は何もできない。
 けれども最後まで合掌できる。

 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

 「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。




本当生まれてこない方が幸せ?
本当は病にかからない方が幸せ?
本当は老いない方が幸せ?
死という恐怖はない方が幸せ?


正直あまりにも辛すぎて、自分自身生まれない方が・・・
と思った時期もありました。

でも今こうして笑って「医療のために貢献すっからよ」って言う父を前にして、
何をか言わんやです。


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(初春に訪れた奈良薬師寺金堂)

1,300年前の人たちも病や生きることに対して真摯に直面していたのだと、
薬師寺に往かせていただいて、写経をする中で感じました。


貴方の子供であることを嬉しく思います。
望んで父と母の子供として生まれ出でたことを、
今では確りと、はっきりと自覚することができます。

祖父の年齢は越したとはいえ、まだ婆ちゃんまでは間があります。
次につなぐために又いろいろと話をさせてください。

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(瑞巌寺参拝後の父)

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
(平家物語)



一滴の雨(想い)が合わさって、造形がなされ水となり、
環境によって氷塊になり、雲霧となる。

その時々で思いも寄らぬことや寒心に堪えないことが、目の前に起こっても、
日々やるべきことは変わらず。

当たり前を素直にやること、凡事を徹底すること
その積み重ねが大事であると
父から、貴方の子供となって生まれ出でたからこそ
理解できたのだと思います。

もちろん、実父だけではなく義父もそうです。

また、仕事やプライベートの場面でご縁をいただく経営者の方はじめ、
いろいろな方すべての方から「素晴らしい想い」を頂いています。
本当にありがたいことです。


実は父は60歳の定年を迎えてから通信教育で庭師の勉強をし、
庭師となって活動しています。
昨年の大病以降は現場での作業は疎か、
身体を動かすことも難儀していた時期がありました。

でも、父を頼って連絡をいただくお客様の様子や、
庭師仲間とのふれあいの話などを母から聞くと、
昨年の大病は、60歳から頑張った父(人間)にとって
一番の褒美ともいえる、「存在価値」を認めていただいていることなのかもしれません。

まさに、「人間万事塞翁が馬」。



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(薬師寺興楽門近くの万両)
一両や十両に価値がないのではなく、
百両や千両や万両といえども、
その「華」を視る目がなければ、
「価値」を感じることができないということを
父から体現として教えていただいていると思っています。


このブログを読んでいただいた皆様の目の前に起こっている望まない状況が、
皆様や関係者の方にとって、本当は望んだ結果となるための階段であったと
思える日が来ますように。


次回の更新は立夏の頃です。
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季節は「清明」・・・「清浄明潔」春先の生き生きとした季節の幕が上がります。

2014/04/11 07:28
【百隈の 道は来にしを また更に 八十島過ぎて 別れか行かむ】

今週は福島〜仙台〜福島〜秋田〜仙台と移動しています。
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(東北本線を走る電車)

フェースブックではお伝えしたのですが、在来線(JR東北本線下り列車)で福島に移動中とてもうれしい出来事がありました。

4月は新入学の学生や社会人が多い季節です。混むことも予想して1本早い電車で移動する方も多いのでしょうか、いつもはすいている電車がとても混んでいました。

五百川駅で乗車した私は「今日は福島駅まで座れそうにないな」と諦めていました。
ところが二本松駅で目の前の方が降りるではありませんか。
「ラッキー!」と心の中で思い、両脇の方に遠慮しながらお尻を2/3程、椅子に滑らせました。
次の駅で70歳代と思しき年配の方(おばあちゃん)が腰をかがめながら乗車してきました。

車両が混んでいたため、その方も中々車両の内側に進めずにいました。
私のところから3〜4mぐらいまで来た時でしょうか。
声をかけようとした瞬間、椅子に座っていた大学生と思しき二人の女の子がすくっと立ち上がり「どうぞ!!」と年配の方に席を譲っていました。(降車駅が金谷川駅だったので、たぶん福島大学の学生さんだと思います)

その声をかけるタイミングは「声をかけなきゃ」とか「年配者には席を譲りましょう」とかの意識ではなく、
当たり前に、自然にそしてとても優しく席を譲っていました。

私は「自分の所に来たら」なんて思っていたので、その二人の学生の振る舞いに感動してしまいました。

その振る舞いの自然な姿は、朝からとても素敵な元気をいただきました。

その子たちが金谷川駅を降りていくとき、その子たちは満面の笑みをおばあちゃんに送りながら降りていきました。
角度的に見えませんでしたが、そのおばあちゃんもとても素敵な笑顔で笑っているような感じが肩越しから感じました。


仕事柄、5Sのことをいろいろなところでお話をさせていただきますが、5Sの5つ目に「しつけ=躾」があります。
まさに彼女たちはその躾が行き届いている学生さんでした。

躾は意識をもって繰り返し繰り返し実践しなければ身に付きません。
もっとも家族や育つ環境がそのような環境であれば、意識しなくても身につくのも躾だと思います。

以前調査したことがありますが、玄関を上がって靴をそろえることができない子供の家庭の玄関は、
大概乱雑な玄関でした(笑)

彼女たちの努力か、ご家族の育てた環境かは伺いしれませんが、
彼女たちの行動は「身の振る舞いが美しい」と、心から思いました。

彼女たちの振る舞いは「席を譲る」という行為(行動)だけでない「やさしさ」や「おもいやり」を、
まさに「お・も・て・な・し」の心を感じました。

改めて行為に付随する「やさしさ」や「おもいやり」を彼女たちから教わったような気がいたしました。
これからは席を譲る際には気をつけたいと思います。

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(クレイ(粘土)で作成したウエディングドール:一番右だけですが・・・。)


4月はいろいろな出会いや仕事が始まります。

いろいろな目標や夢のために歩みだす季節です。

ゴールに到達するまでは、いろいろな障壁や困難な問題も目の前に現れてくるのだと思います。

そんな時に限って自分にばかり仕事が集中したり・・・しますよね!

やらねければならないことは沢山あるのに・・・って思うことありません?

優先順位をつけてやれば良いってことはわかっている・・・けれど。

そんな時ありますよね。

わたしも特に4月はそんな時期です。


ある方から教わった方法でそんな時は自分自身に手紙を書くようにしています。
自分自身に手紙を書くって、なんか変かもしれませんが物は試しにやってみてください。

数か月してその手紙を読み返すとなんと手紙の内容の通りということが数多くあります。


それまではできない理由を書き出してみたり、(いわゆる内省を紙に書きだす)とか
ToDoリストッを作って優先順位に並べ替えたり。

もちろん有効であることは違いないのですが、気分がパッとしない。
そんな時は自分自身に「手紙」をかいてみてください。

新しい環境や新しい出会いは楽しいことやウキウキする反面、
不安なことや思い通りにならないこともあるかと思います。

今日、明日で解決しないことも、もう少しだけ時間をかけると思いに近づくこともたくさんあります。

なぜか手紙を書くと応援してくれる人や、陰ながらエールを送ってくれている人が居ることを、不思議と感じることが多くなります。

このブログを読んでいただいた方の目標や夢やゴールに近づくことを願って。

次回の更新は穀雨のころです。
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本日は【春分】太陽黄経0ゼロ度です。今日から春がスタートです!!

2014/03/22 06:23
『大君の 命(みこと)畏(かしこ)み さし並ぶ
 国に出でます はしきやし 我が背の君を

 かけまくも ゆゆし畏し 住吉(すみのえ)の現人神  
 
 船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々

 荒き波 風にあはせず  障(つつ)みなく  病(やまひ)あらせず
 
 速(すみや)けく 帰したまはね    もとの国辺(くにへ)に』


この3月は卒業式の季節です。

健やかに育った我が子の門出は、誇らしく嬉しいものですが、
一方では自分の手元を離れることの寂しさや、
かつて自分が体験した新たな門出のことが思い出されて、
心配が尽きることはありません。

画像
(先月訪れた太宰府天満宮)


先日SNS(ソーシャルネットワークサービス)の友人の投稿に、
ご令嬢が自分の意思を明確にし巣立っていく様を経て、
父親としての想いが綴られていました。

「・・・自分が決めた道だから、いちいち口出しはしない。
トコトン倒れるまでやってみればいい。
相談事は何時でも聞いてあげれるけれど、解決するのは自分しかいない事を肝に命じておかなければならない。
どうしても辛かったら故郷に休みにおいで。 」

読んだとき不覚にも涙を落としてしまいました。

本当は「家に帰っておいで」と言いたいはず。
「家に戻っておいで」と言いたいはず・・・。

その言葉をぐっと堪えて「故郷に休みにおいで」・・・痺れます。

もちろん子どもの人生は子どもが主役です。

自分の人生ではないのだから、どのような選択でも、
また、どのような結果でも潔く享受しなければなりません。

分かっては居ても、どうしても口を挟んでしまいがち。
「本人のことを思って」や「親として」という理由で言い過ぎてしまいます。

本当は子供自身が一番「感じている」はず、
その「感じている」子供自身を「信じて」あげることが重要であることを、
友人の投稿から再考させられました。

親としての望みはいろいろあるけれど、
子供の主人公は「子供自身」であることを改めて友人の投稿から教えていただきました。


子供は天(社会)からの預かりものであるとよく言われます。

私にも2人の子供が居ます。
彼らのおかげで大人に、そして父親の素晴らしさを感じることが出来ています。

子供を授かったことで、両親への感謝や学校の先生への感謝や、地域への感謝が
芽生えました。

何を持って立派というかはまだわかりませんが、
立派な大人(社会に役立つ人材)に一歩一歩進んでほしいと願うばかりです。

画像
(数年前の息子の卒業式に撮った玄関付近にある碑)


このブログを読んでいただいた皆様の元にも、それぞれの春光が降り注ぎますように。

次回の更新は「清明」の頃です。
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本日は「啓蟄」です。

2014/03/07 05:36
大船を 荒海に漕ぎ出で や船たけ 我が見し子らが まみはしるしも

画像
(正殿跡(都府楼跡石碑)手前の木に捲かれた石柱)

啓蟄とは「蟄虫啓戸」からくる言葉で「蟄虫(すごもりむし)戸を啓(ひら)く」の日のこと。
地中で冬眠をしていた虫たち(土にひそんで冬を過ごすさまざまな生き物)が
地表に姿を表わす頃とされています。

いろいろな危険を冒して虫やカエルやトカゲたちはなぜに土から這い出して来るのでしょうか?
取りも直さず、種の継続にあります。

以前読んだ雑誌(出典:日経サイエンス)の中にこのような記事がありました。

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生物の種とは何か( 2008年9月号から部分抜粋)

 「絶滅の危機に瀕した種」──ニュースでしばしば耳にする言葉だ。だが、ここでいう「種」とは何だろう? ある生物集団が種であるかどうかという最も基本的な点が、実は学界では必ずしも合意が得られていない。種の概念をめぐって何十年にもおよぶ論争が続いてきたのだ。最新の総説によると、現在使われている種の概念は少なくとも26はある。


 少し前ならば、分類学者は翼やヒレの特徴など,目に見える外部形態に基づいて、新種であるかどうかの判定を下していればよかった。しかし、今日ではDNAの塩基配列が読めるようになり、その情報を手がかりにして生物多様性の隠れた鉱脈を堀り当てつつある。このことが、種をめぐる見解の対立がより先鋭化している理由の1つになっている。
(一部省略)

 ダーウィン(Charles Darwin)は,種をめぐるごたごたを「もともと分けられないものを分けようとするからこんなことになるのだ」と書いている。種は創られたまま不変であり続けるのではな、進化してきたのだ。種と呼ぶ生物群はいずれも、もとは祖先種の変種として出発した。時間が経過するとともに自然淘汰が作用し、適応できない変異個体は消え去ったが,変種のなかには生息環境により適応するようにさらに変化するものもいた。その結果、もとの変種は他とは大きく異なるようになる──こうして初めて種と呼べるものが形づくられる。

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種の区分方法はさておき、異なる種や区分が存在することにより、
とったとられたや格差ギャップを生じ争いが発生する。

本来一人一人に備わった使命は、他人を傷つけたり非難したり、別種の生物を殺傷するために生まれてきたのではないはずなのに・・・。

人という生き物は、古よりの争いごとだけでなく普段の生活の中でも、
自分と他人を比べては他人を羨んでみたり、打ち負かしてやろうと思ってしまう。

ある意味そういったストレスが種や種族の生命を強くさせているのかもしれない。

自ら移動しない「木」と「石」が直接争うことはないが、冒頭の写真にあるように石が木に取り込まれ、
石が木に負けてしまうと思いがちである。

しかしながらあと数十年たって、完全に石を覆い尽くした木を見たとき、目の前に見えるのは「木」しか見ることができない。
何かの拍子でその気を切り倒したとき木の中からこの石柱が出てきたとき、
その神秘性に石は「宝」に置き換えられるに違いない。

どんなに目の前に望まない状況や場面が映し出されたり、起こったとしても今述べた石のように、
後に輝きだす「種」になるかもしれない。


「種」は種だから種ではなく、芽を出すからこそ「種」である。

自分自身や自身の子孫に素敵な花が咲くように、今は「種」に磨きをかけ、期待をかける時である。
来るその時に素敵な華や実を着ける芽を出すために。


画像
(政庁跡から大野城を望む)

今の時代と同じように、1300年前の人たちも家族を思い、子を思い闘っていた人達がいたことに思いをはせてみたいと思います。

このブログを読んでいただいた方に素敵な芽生えがありますように。

次回の更新は春分の頃です。
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「雨水」から四日ほど経ちました。

2014/02/23 09:49
「ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため」
(神人部子忍男かむとべのこおしお:信濃国埴科郡の書記官で755年2月に防人として筑紫に派遣された)



「雨水」とは、雪が解けて水となり雨に変わる。
雪が降っても春の淡雪ですぐ溶ける季節です。
画像
(雨水にはほど遠い、降り積もった雪の中から掘り出した考える亀)

先週末に降った雪は今までの人生の中で一番大雪でした。
たぶんあんなに雪かきをしたことは、望んで行った雪かきボランティアでもありません。

二日目の雪は水分が多い雪でしたが、「雨水」の季節にある淡雪ですぐに融ける雪ではありませんでした。


翌々日には街の中であちこち「ロボット」の(筋肉痛でぎこちない)動きをする人が、数多くいました。(笑)


もっとも二十四節季の季節感は、東北よりも南方の地域の気候(もともとは約2600年前の黄河地方)を参考に作られていますので、季節の時間差はあるかと思います。

今回の雪かきはあまりにも辛くて、雪かきの最中でさえ「雨よ降ってくれ」と願いました。


さて、今回もブログの更新が伸びてしまいました。m(__)m

今、九州に来ています。

何故?九州に来たかと言えば、一番の目的は仕事なのですが、
一番の楽しみは「知覧」を訪れることでした。

いつか来たい!いつか来たいと思っていた場所です。
常々訪れたいと思っていました。

今回は大切な友人が知覧ゆきを後押ししてくれたことが一番のきっかけです。

特別攻撃隊の話は、百田氏の「永遠のゼロ」が巷をにぎわしています。
映画も見ました。でもそれが直接「知覧」を恋い焦がれさせたのではないのです。

「永遠のゼロ」を見たからというよりは(永遠のゼロは単行本化された2009年に読みました。個人的にはその後の発刊の「海賊と呼ばれた男」のほうがお薦めです。この本は読んで感動し、本来目下の者が本を贈るのは失礼かと思いましたが、病床の恩師へプレゼントしました。)、


「知覧」を知り、知覧に行きたいと思ったのは、2007年に見た映画を見てからです。
その映画は「俺は、君のためにこそ死ににいく:監督ー石原慎太郎」です。

たしかあの時、石原氏は都知事選の3選目の戦い真っ只なかにこの映画製作を進めていたと思います。

選挙に出るのに、「なんと強欲な政治家なんだ」と思って、
いろいろ調べるうちに、主演者の窪塚洋介氏の以下のような発言の記事を見て、
この映画を見ようと決めました。

(その時目にした記事とは若干違いますが内容はこの通りです)
「映画を観てから評論して欲しい」「この映画を見て、戦争賛美だというヤツ(井筒監督を指しています)はアホだと思う。
もう一回見た方がいい。見る前に言うヤツはアホ。
右だ左だというけど、鳥は両方の翼がないと飛べないという思いで、日々生きています」

内容は窪塚氏の言ったとおりでした。
生きていく上でのバランスがとても大切なことや、
自分の「存在」を「確認」することの重要性、
そしてないより人を「愛し」「敬う」ことの大切さを、
スクリーンを通してズシズシと心中に入ってきました。

この映画を見終わった後、嗚咽を我慢しすぎて頭のなかが痛いくらいでした。

【知覧に行きたい】と思ったのはその時です。



画像
(出典:特攻勇士の像:知覧特攻平和会館HPより※阿部注記:特攻=特別攻撃隊)

戦争は「良いか」「悪いか」と言えば、
勿論、良くありません。

同じ人間同士の殺し合いは「良いか」「悪いか」と言えば、
勿論、良くありません。

このブログの冒頭にある歌は「防人の歌」です。
1250年程度前に読まれた歌です。

「防人」とは、筑紫(ちくし)・壱岐(いき)・対馬(つしま)など朝鮮半島からの攻めに対して日本(北九州)の防衛にあたった兵士たちのことです。

彼らは関東を中心とした東から連れて?(志願して)来られた人たちです。

彼らは喜んで、楽しんで「九州」の地に来たのでしょうか?

防人の歌や東歌を詠むとき、
その文字の間にある想いは知覧の地から飛び立った若者と
何ら変わらないのかもしれません。

知覧の特攻に関わった者はどんな思いで
この国土を、
日本を、
国を、
地域を、
家族を、
親を、
兄弟を、
愛する者を「守った」のでしょうか?

ここに知覧で求めた書籍「新編 知覧特別攻撃隊:高岡修 編」の遺書・遺詠のなかに、こんな歌が詠まれていました。


「 もののふが悲しき命
         積み重ね
積み重ね守る
 やまとしまねを」



その意味することの重さを、大きさを、
この地、知覧に来たからこそ解るものがあります。

「決死」と「必死」に違いの隔たりを、
この地、知覧に来たからこそ解るものがあります。

彼らの命は、
「生命」としてこの世に生まれ、
自らの意志で「運命」として生き、
その「使命」を果たしました。

彼らが願った命は、否、使った命は、
自分の命よりも家族や兄弟や愛する者の命のため
先に往ったのだと、
知覧平和会館に来て想いました。


私の故郷、福島の地から飛び立った若者もいます。

(以下出典:知覧特攻平和会館HPより)
穴澤利夫(あなざわとしお)大尉:福島県喜多方市塩川町
 第20振武隊 23歳


穴澤大尉には、大学時代に将来を約束した智恵子(ちえこ)さんという婚約者がいました。

 出撃の際白い飛行マフラーの下に智恵子さんから贈られたマフラーを巻いて出撃しました。穴澤大尉は、智恵子さんに送った最後の手紙の一節に、『婚約をしてあった男性として、散って行く男子として女性であるあなたに少し言って征(ゆ)きたい』として、

---------------------------------------
あなたの幸せを希(ねが)う以外に、何物もない

徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

勇気を持って過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

あなたは今後の一時一時(ひとときひととき)の現実の中に生きるのだ。

穴澤は現実の世界にはもう存在しない。


---------------------------------------
と記しています。そして最後の一節に、

智恵子 会いたい。話したい。無性に。

と記しています。(※阿部注記:書かれた内容の一部分です)



知覧に来て、
今こそ深く、先人(往った人達)の想いを考えていかなければならないと思いました。



(以下出典:「知覧からの手紙」水口文乃著(新潮文庫))
---------------------------------------
その女性は、手のひらに乗るほどの小さな箱を箪笥から取り出すと、「大切なものが入っているの」そう言って微笑み、私の前へ静かに置いた。

見事な寄木細工の小箱だった。一体、何が入れられているのだろう。

そっとふたを外してみると、タバコの吸殻がふたつ、綿に包まれて入っていた。銘柄も判別できないほどに変色し、指で触れれば崩れてしまいそうな――。

「彼の唇に触れた唯一のものだから」

八十四歳になる伊達智恵子さんにとって、六十年以上も前の吸殻は、婚約者であった穴沢利夫少尉(享年二十三)の遺品だったのである。

「女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいった特攻隊員がいる。しかも、その隊員の婚約者だった女性は、未だに健在でいるらしい」

特攻隊の取材をしている知人からの情報で、都内で一人暮らしをしている智恵子さんを訪ねたのは、平成十八年一月十三日のことだった。

寂しいご婦人なのだろうか。そんな私の予想は裏切られ、実際の彼女は明るく、力強く生きていた。

「利夫さんは生きたくても生きられなかったけど、残された私や彼の家族、それに未来に続くあなたたちのために特攻隊として身を投じたの。私はその遺志を受け継いで、できることなら利夫さんの思いを果たしていきたい」

小柄でチャーミングな笑顔を絶やさない智恵子さんだが、彼女が語る利夫さんとの「物語」は、切なく、苦しい。

智恵子さんの記憶は鮮やかだった。生への願望を持ちつつ、二十歳そこそこで死を覚悟しなければならなかった利夫さんの無念と、彼と結婚の約束をしていた自分が受け入れなければならなかった現実が、彼女の心に痛ましいほど深く記憶を刻みつけたのだろう。

「利夫さんが私だけに残してくれたものを公にしていいのかとずいぶん悩みました。だけど、彼の日記や手紙を見て、そこから何かを汲み取ってくれる人もたくさんいるでしょう。私自身もそれを何度も読み返して、利夫さんへの理解を深めることができたから」

こう言って彼女は、しまい込んでいた利夫さんの日記や手紙、写真を見せてくれた。言うまでもなく、これらは特攻隊に参加した若者たちを理解する上での貴重な「資料」である。しかし、私が目にしたのは資料という無機質なものではなく、人の心を打つ「作品」であった。

「死」が前提にありながらも、利夫さんの書く言葉に愚痴めいたものは見つからない。ただ、智恵子さんへの思いやりと、国家に危急が逼り来るときに青年として何をすべきなのか、という熱い思いが綴られている。その隙間に、さらりと挟まれている利夫さんの若者としての本音が、智恵子さんの話と共に私の心を打った。

しかし、智恵子さんは時折、私に戦時中のことを話すのをためらうことがあった。特に、その時々の彼女の気持ちを話す際、戦後三十年近く経って生まれた私がよく理解できないことに、もどかしさを感じるようだ。

「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの。今とは、あまりに価値観が違うから、わからないと思うことも当たり前かもしれないわね」

それでも、丁寧に話せば若い人にも伝わるはずだと、智恵子さんの下へ通い続ける私に、彼女は根気強く話してくれた。

そんな智恵子さんだが、最近まで思い出を胸に秘めたまま、誰が来ても取材に応じることはなかったという。彼女の考えを変えたのは、こんな思いだった。

「最近は、戦争が美談とされることもあるし、特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った事実が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、毎年少なくなっている。長く生かされていることに、何らかの使命が課せられているとしたら、それは語り部の役割かもしれませんね」

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この「知覧」ゆきを後押ししてくれた大切な友人と
大切な妻に感謝します。

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本日は立春です。冬と春が分かれ今日から春?に入る日です!

2014/02/05 00:12
<天地(あめつし)の、いづれの神(かみ)を、祈(いの)らばか、愛(うつく)し母(はは)に、また言(こと)とはむ

画像
(富士山の見える北限とされている麓山(羽山)とご来光)

このブログも3年目の春を迎えました。

こうしてブログを続けることができるのは、
じつはこうして読んでいただいている方の
励ましや反応があるからです。

実は2年間、書いてきて気づいたことがあります。

普段1日の終わりに記入する「日記」と、
この「abe−blo」は決定的に違います。

実はブログはこうして読んでいただいている人を意識して
書いているということです。

「結果」なのですが「日記」を書いている時は、
今や過去を書いているのですが、
「abe−blo」を書いている時は、
実は未来を描いているということに気づきました。

もう一つはBlogを書くことによって、
いろいろな調べ物をしたり、興味を持ったりすることによって、
アンテナの数が増えたように思います。

このことは私にとって、とても
とっても嬉しいこと(刺激)であり、
大切なことです。

過去や今を認識することは、
もちろん大切なことですが、
最も大切なことは、
「これから」をどうするかということ。

未知のことを考え、判断や決断をするとき、
いろいろなシグナル(信号)をキャッチできるアンテナを、
持っているということはとても大切(重要)なことです。


もっともアンテナがあっても、
チューニング(同調)しなければ、
雑音でしかありませんが・・・(笑)


いずれにせよ誰のための人生でもなく、
自分自身の人生です。

今の身体での一生は一回きりです。
喜怒哀楽すべてを受け入れて、
肯定して生活していこうと、改めて決めた立春の朝でした。


これからの1年は又新しいアンテナとして、
「万葉集」の防人の歌と
たま〜に古墳時代に関わる話題を提供していきたいと思います。

何故?防人の歌と古墳時代か?

あまり他意はないのですが、
あの東日本大震災でなぜ東北の人は、
暴動をせずにいられたのかを思ったとき、
勝者の力で塗り替えられた歴史(飛鳥以降)の先(端)に
真実があるのかな・・・?

なんて思ったからです。
画像
(国立博物館の遮光器土偶:妙ョ〜に惹きつけられてしまいます)


次の歌は本来、磐座や木々や本当は田畑などの自然物や、
雷や雲や雨など自然現象など、
小泉八雲がいう「神道の感覚」が有り触れ、
日本中のありとあらゆ処にいた神様が、
一つにまとめられてしまった、とされている歌です。


(引用:以下の黒い文字は「万葉集遊楽」さんから掲載しました。http://manyuraku.exblog.jp/13770390)

672年、古代最大の内戦「壬申の乱」が勃発しました。
天智天皇の後継者である大友皇子と
天智の弟大海人(おおあま)皇子との甥叔父間の
皇位継承争いです。

近江朝から見れば大海人は賊軍。
大義名分が不可欠となった大海人は
「我こそ皇祖天照大御神の直系の正統なり。
我軍は神に守られた軍団であるぞ」
と声高に味方の士気を鼓舞します。

当時、兄弟間の皇位相続が多かったことに加え、
大友皇子の母が身分が低い采女であったため
(大海人の母親は斉明女帝)
このキヤッチフレーズに多くの豪族が共感し
大海人軍は圧倒的な勝利をおさめます。

乱平定後、天武天皇として即位した大海人は、
声高らかに次のように讃えられます。

「 大君は神にしませば赤駒の
     腹ばう田居を都と成しつ 」 巻19−4260 大伴御行(家持の祖先)

( わが大君は神であり、超人的なお方であるぞ! 
強靭とされている赤馬でさえも
動くのに難儀していた泥沼の湿原地を
都に造り変えられた。)


この歌が天皇を神と詠った最初のもの(他に一首あり)で、
現人神登場の序章です。

天武天皇はさらに「古事記」「日本書紀」の編纂を開始して
天孫降臨と「天照大神の子孫が日本の国の王となるべきものである」
という天照大神のお告げ、
いわゆる「天壌無窮の神勅」を創作し、
皇位継承の正当性の裏付けとします。



ということは!
672年より前の日本は?
特に東北の人はどのような暮らしや文化を持っていたのか?
何を「心の軸」に据えていたのかを
知りたいと思いました。

画像
(先日訪れた奈良薬師寺金堂)


これから1年間、
防人の歌と古墳時代や
神舎仏閣を訪問した時の想いなどを
綴っていきたいと思います。


私の大好きなシンガーソング・ライター
さだまさしさんの歌から

「防人の歌」から一部抜粋

   作詞、作曲:さだまさし


 私は時折
 苦しみについて考えます  
 誰もが等しく抱いた悲しみについて  
 生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと  
 病いの苦しみと 死にゆく悲しみと  
 現在の自分と  


 わずかな生命の  
 きらめきを信じていいですか  
 言葉で見えない望みといったものを  
 去る人があれば 来る人もあって  
 欠けてゆく月も やがて満ちて来る  
 なりわいの中で  

このブログを読んでいただいた方の心が
温かい気持ちで満ちてきますように。


次回の更新は「雨水」ごろです。
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大寒の時節になりました。

2014/01/26 10:41
画像

(大切な方の完治を願い訪れた薬師寺の塔)

最近ブログの更新が遅れてしまいます。(-_-;)
理由は優先順位を後回しにするからです。

勿論、自身の日記ですので書くタイミングも、内容も誰から制限を受けているわけではありません。(^o^)v

お陰様でこのblogも丸2年になります。
24節季毎に更新するなかで読んでいただくかたが増えてきて、更新が遅れるとメールなどで安否確認や励ましのお声を頂くことがあります。
本当にありがたいことです。_(..)_

1年間は続けようと思っていたblogですが、2年間続けられているのはその様な応援があるからこそです。

今回も昨晩にアップしようとしましたが、打ち込んでいる間にいつの間にか眠っていました。(゜◇゜)ゞ

画像
(薬師寺の門の片隅に実っていた万両)

以前blogにも一部書いたことがあるのですが、今回ある方から要望があり中学校の卒業式で話す祝辞を教えて欲しいとのこと。
他県の方ですが今回PTA会長をなさっていて以前blogで書いていたのを覚えて(実は書いたのは学校だよりに投稿したの一部分でしたが・・・)くださっていて、今回メールでお送りしました。

読まれたその方が是非blogでアップした方がとの強い?強引な要請を受けて、
恥ずかしげもなくアップするはめになりました。

実は私もPTA会長を引き受け行事(入学式など)毎に、頭を悩ませ先輩などにお聞きしました。
お聞きしたり、書いたものをみることによって気付くことがあるかもしれません。d(⌒ー⌒)!
そんな言葉でおだてていただき今回アップすることにしました。
勿論、最終的には自分の言葉で話すより他ありませんが・・・。
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「祝辞」

白沢中学校卒業証書授与式にあたり、
一言お祝いの言葉を申し上げます。

本日卒業証書を授与された百一名の皆さん、
卒業おめでとう。
そして何より、心身ともに不安定な時期の子供達を、
厳しさと愛情をもって熱心に導いていただきました
校長先生はじめ、諸先生方に対しまして篤く御礼申し上げます。
また、寒い日も暑い日も沿道に立ち、
子供達を温かく見守ってくださっている地域の皆様にもご多忙の中、
子供達の晴れの舞台に多数ご臨席賜り誠にありがとうございます。

 さて、卒業生の皆さんはこの白沢中学校で過ごした三年間を振り返ってみて、
今、どんな思い出が胸に浮かんできますか。
修学旅行や球技大会、それとも白中祭などの行事でしょうか。
クラスや部活動で仲間と共に笑い合い、時には気持ちがすれ違い思い悩んだ出来事でしょうか。

想い出されるその一つ一つが、
皆さんを成長させてきた宝であり、
かけがえのない思い出です。

 春からの新しい環境の中で、
皆さんはまた様々な経験を重ねていくことでしょう。

人生には、心から震え感動し、
「この瞬間のために自分は生まれてきた」と思うような嬉しいこともありますし、
逆に、生きていくのがつらく感じるような苦しい目に遭い、
長く暗い一人ぼっちの夜に涙することもあります。

人は一人では生きて行けないものなのです。
人に傷つけられ悩むこともありますが、
それらを癒してくれるのも、やはり人なのです。

 これから高校生活でも相手の気持ちを大切に思いやり、
人の苦しみや痛みを感じ、お互い分かち合い助け合えるような友人を、
たくさん作ってください。

苦しくなったり、つらくなった時、
この白沢の地には幼い時から共に育った仲間がいること、
担任の先生をはじめお世話になった先生方がいらっしゃること、
大切な家族、そして地域の皆さんが見守ってくれていることを、
どうぞ忘れないでください。

 新しい世界への扉を開き、
元気と勇気を持って羽ばたいていく皆さんの未来に
幸多かれと願い保護者を代表しての祝辞とさせていただきます。

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(春日大社にある苔生す石灯籠)

本来わたしは文章が、スムーズに書けるほうではありません。
文章の作成の力も充分でありません。

でも心の底からの「想い」はあります!

そんな想いがある。
否、想いだけで先行してしまう方に、
おすすめの素晴らしいツール(方法)があります。

最近は人前で話すときや原稿を書くときは、
もっぱらそのツール(方法)を使って作成します。

文章を組み立てるときとっても便利なツール⇒
エンパシーライティング・メソッド〜http://www.empathywriting.com/

昔は、モノを売る時代だったので、モノを売るためのコピーライティング、セールスライティングが必要で、モノの良さをうまく伝えることが最も重要視されました。ところが、消費のスタイルとコンテンツが変化し、人々が消費するのは、モノではなく、情報とサービスに変わりました。情報やサービスを売るためには、モノを売るのとは全く違うアプローチが求められます。
そのベースは、心を動かす、感動させるということ、つまり共感(エンパシー)です。
人々はモノでは満たされない、心を動かす、感動で満たされるのを求めています。
モノそのものではなく、モノの使い方、作り方、表現の仕方、見せ方であり、暮らし方、働き方、生き方、住まい方、学び方、、、といった「方」、つまり方法でありスタイルです。
こういった「方」を売るために、自分の言葉で、文章で人を感動させることができるかどうか、といったアプローチ、つまり共感(エンパシー)が必要になってきています。
この共感を得るための視点や深い考察ができる力を学ぶのがエンパシーライティング・メソッドです。


<エンパシーライティング・メソッホームページより一部抜粋>


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(春日大社慶賀門より西回廊を望む<まもなく平安末期から続く節分万燈籠ですね>)
このブログを読んでいただいた方に、
素敵な【春】が訪れますように・・・。

次回の更新は「立春」頃を予定しています。
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節は「小寒」です。

2014/01/10 13:05
「小寒」

小寒とは、寒さが極まるやや手前のころのこと。
寒の入りを迎え、立春になる
寒の明けまでの約一か月が寒の内です。

「寒の入り」

一年でもっとも寒いこの時期を「寒」といいます。
小寒からはじまるので、寒の入り。
「小寒の氷、大寒に解く」ということばがあるように、
小寒に張った氷が大寒に解けるほど、
むしろ小寒のほうが寒いと感じるときも。
冷えきった夜半、見上げると、澄みきった夜空に
さえざえと星が輝いていることがあります。
白い息を吐きながら、頬をほてらせ、
つい星のまたたきに見とれてしまうのもまた、
このころならでは。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


画像
(秋田に向かう新幹線より秋田街道国道46号線を望む)



ブログの更新がだいぶ遅れていましたが、
遅れたおかげで?
すぅ〜と腑に落ちたことがありました。

辛苦の元になる「問題」は誰が与えるのか?
ということ。

もちろん日々の判断や決断は「自分自身」です。
あたり前だけど「今」の楽しみも苦しみも、
自分で「選択」した結果です。

でも苦しい時はそんな悠長なこと言ってられないし、
苦しい思いだけです。

前回のブログにも書きましたが、乗り越えられない問題(課題)は
目の前に現れないということ・・・。

でも実際はそんなに簡単じゃない!

そ〜ぅなんです。川崎さん(古っ!)

実は腑に落ちたと言うのは、先日セリエAのACミランに入団した
本田圭佑選手の記者会見の内容でした。

正確には会見後の日本語でのインタビューで、
「プレッシャーは感じるべきだと思っている。」
「子供達にひとつひとつ階段を登れば必ずたどり着けるんだということを伝えたい」と
答えていました。

自分自身(リトル本田(小学校時の本田少年も含めて)が選択し、
挑戦してきたこと。
そして今も挑戦していること。

「問題=課題」は自分自身で選択、
表現が違うかもしれませんが、
選択というより、「捉え方」をしたということ。

ハッとしていろいろなWebチャネルで会見の様子を
見直していると、「準備」という言葉や「練習」という言葉を
繰り返していました。

見えないものを、見えるようにするために。
一歩、一歩
繰り返し、繰り返し準備や練習をしてきたのだと思います。


最近読んだ本の中に弘法大師空海が言った?記した書物についての
解説本を読みました。

『医王(いおう)の目には途(みち)に触れてみな薬なり、
解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る』
  「般若心経秘鍵」 弘法大師-空海

優れた医者や医術をする人は道端(生活する途中にある)にある雑草も薬草としての薬効がわかり、
ただの石ころも宝石がわかる人は、石の塊を宝石の原石だと視ることが出来るといっているそうです。


何も無いものからいきなり素晴らしい価値を作り出すのではなく、
具わっていながら、見出してもらっていない価値を見出すのが、
医王であり解宝であるということでしょうか。


目の前に起こることは(自分にとって)どんなに無用だと思うことも
「意味がある」モノなのかも知れません。

もちろん望まないような問題も生活をする上では道端に転がり込んできます。
先天性的な障害や望まない病気などはその典型的な例かもしれません。


苦しい状況や見えない状況も 「ものごとの本質を見極められる人や、
物事がわかっている人には、大きな価値を見いだしたり、無駄なものなど何一つない」という
心構え(捉え方)が必要なのかもしれません。


以下は出典「須弥山と極楽:定方晟 著」より一部抜粋参照

輪廻の思想とともに重要なのは「業」の思想である。
業はインドの言葉カルマまたはカルマンの訳語であって「行為」を意味する。

そして、それとともにその行為のもつ影響力をもさす。行為といっても単に
身体の行為だけでなく、言語行為と精神行為も含まれる。また影響力というのも、
単に一生の間おこりうる影響力だけでなく、来世にまでつづく影響力も含まれる。

業の作用は自動的に働くものである。決して神のごとき裁定者の介入を必要と
しない。よい原因をつくれば、よい結果が生まれ、悪い原因をつくれば悪い結果
が生まれる。これは自然法的な法則である。

自業自得という言葉があるが、これは自分がおこなった行為の結果を自分が
受ける、ということを表している。
だから、仏教では「罰せられる」とか 「地獄におとされる」とかは言わない。
「報いを受ける」のであり、「地獄におちる」のである。


望めばもちろんのこと、望まないことも沢山目の前に出現しますが、
問題を「−−させられる」と言う視点から、
「−−する」という視点で物事に当たる必要があるのかもしれません。


このブログを読んでいただいた方の目の前の問題、
否、課題が少しずつでも解決や開放に向かいますように。

次回の更新の予定は大寒のころです。
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冬至から5日が経ってしまいました。

2013/12/27 19:23

「冬至」

冬至とは、一年でもっとも昼が短く、
夜が長いころのこと。
これから日が伸びていくので、
古代には冬至が一年の始まりでした。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


画像

(お客様の玄関脇に植栽されている「柊木」に可憐なかわいい花が咲いていました)

大幅に更新が遅くなってしまいました。
ご多分に漏れず慌ただしい年末を迎えております。

ご多分だなんて、お前の所だけだとお叱りを受けそう・・・ですが。

このようにならないように年頭には誓いを立てるのですが・・・(^^;)


今年を振り返ってみると、
ちょうど1年前の12月に友人からマザーテレサの言葉を紹介していただきました。


【マザー・テレサ】
 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


2013年はこの言葉を忘れずに過ごそうと決めた1年でした。

2013年は想い通りにならない課題や、予期していない課題など、
望んでいない問題が数多く起こった1年間でした。

一方では望むことを思ったことで、
思いがけない嬉しいことや、楽しいことを
たくさん経験させていただきました。

もちろん頭の中で考えただけでは
思いがけないことは起こらなかったとおもいます。

思ったことを「書き言葉」にして手帳に張ったり壁に貼ったり、
家族や友人に「話し言葉」にして話したり、行動することによって
いろいろなことが回りだした1年でした。

「書き言葉」や「話し言葉」にすることで、
賞賛の言葉も、辛辣な批判もあります。

兄弟や家族に話すものなれば、その批判は強烈です!

もちろん、愛情の裏返しであることは解っているのですが、
そのストレートさにへこむことは度々です(笑)


もし、今の現状が辛かったり苦しかったりしたら、
これからのことを変えるしかありません。

過去の結果は変わりませんが、
これからの結果は変えることができます!

未来の結果は変わらないのではなく、
変える行動をすることで、必ず変化していきます。

始めの1歩で変わることは少ないかもしれません。
歩くことが辛くて立ち止まることもあるかもしれません。

でも歩みを続ける限り、必ず結果は変化していきます。


マザーテレサの言葉はそのことを明確に教えてくれています。


「2014年が自分(あなた)らしく過ごすために・・・」

・どうして自分だけ何故こんな問題が降りかかるのだろう・・・?
・自分は何も悪いことはしていないのに・・・?!
・こんな状況だったら何もする気が起きない・・・!


経験をしたことがない問題はどんな小さな問題でも、
大抵、苦しかったり、怖かったり逃げ出したくなります。

あまりにも苦しくて「なんで私だけ?」と
思うようなこともあります。

問題が過ぎ去ってしまえば
「この問題は私にとって必然だったかも」と
思えることがあります。

問題と対峙しているときは、
苦痛以外の何物でもありませんが・・・。

振り返って考えて視ると
どんなに辛い問題も今となっては
「解決できない問題は無かった」ということ。

今の結果が望む結果だったかどうかは別にして、

その状況が今も続いているかというと・・・、
辛い場所からは必ず変化して来ています。

「自分(あなた)だからその問題が目の前に現れたんだよ」と言われれば、
落ち着いた今のタイミングであれば素直に頷くことができます。

問題は言い換えれば、
自分の成長のために課せられた「課題」のようなもの
にさえ思えることがあります。


ならば自分から問題(課題)を
迎えに行ってはどうでしょうか?

問題というとちょっと語弊があるかもしれません。

問題を問題として感じる(見えない、聞こえない、味わえない、匂わない、触れられない)ことがなければ、
問題は起こりません。

これらの五感へのインプットがあるからこそ頭で考えたり、
感じたり、結果として行動に移ったりします。

辛いや苦しいという状況は、
自分で望まない情報が
五感を通して身体にインプットされるからに他なりません。


逆に考えるならば苦しい状況になる前に、
自分から「問題を迎えにいく」ことを考えてはいかがでしょうか?

問題を迎えにいくというとおかしな表現になってしまいますが、
言い換えるのであれば、
自分の五感を駆使して
「課題というインプットを身体に取り入れる」
ことであると思います。

課題とは別の言い方をするのならば、
「夢」や「目標」や「計画」です。

誰かの夢ではなく、「自分自身」の夢です。

とはいっても自分の夢っていつも後回しになりませんか?
家族がいたり、子供がいる状況であれば。
尚更ですね!


実は私が2013年の年初にしたことは、
自分がしたいことや夢を家族や友人に話したことです。

もちろん自分の夢や願望を全て家族に話せないこともあります。

そんな時は、夢や目標を壁やカレンダーや手帳に書き記して見てください。
書き記したら次には声に出して読んでみてください。

その瞬間に夢に一歩近づきます!


どうしても協力がしてほしい夢や目標は、
勇気を出して家族や友人に話してみることです。

実は自分を応援してくれる身近な人が、
思った以上に周りに大勢います。

画像
(富士山が見える最北端の麓山(羽山)と翔陽を望む」



「自分は2014年何がやりたいですか?達成したいですか?」

それはどんなことですか?
だれとやりたいですか?
どこまでやりたいですか?

もし、やれたとすれば自分は
どんな気持ちになっていますか?
その気持ちは、
「嬉しい」気持ちですか?「悲しい」気持ちですか?

「嬉しい」気持ちであれば、直ぐに行動しましょう!

先ずやるべきことは2014年のカレンダーと赤いサインペンをもって
カレンダー(手帳)に達成できる日を書き入れることです!

もちろんスムーズに達成できないかもしれません。
いろいろな難しい問題が発生するかもしれません。

その難しい問題を書き言葉で書き出してしまいましょう。
もちろん想像でかまいません。
最悪のシナリオでもOKです。

問題を書き言葉にした瞬間、
それは「問題」から「課題」に変化します。

ほら、もう既にあなたは夢に向かって行動を起こしています。

書くという行為を通して目に見えない怖いものから、
越えることができる具体的な課題に落とし込んでいます。



結果を変えるためには、行動を起こすことです。
万が一結果が望まない結果であれば、
今出た結果の行動と違う行動をとっていくことです。

行動の過程で予期せぬ課題(問題)も当然に起こってきます。

そのときに想って下さい。
「越えられない障壁(問題)は自分の前に現れない」と

夢や課題を乗り越えるコツは、
夢や目標を自分の心や手帳だけでなく、
家族や友人に話すということです。

言うことで自分自身のプレッシャーになってしまうと思いがちですが、
周りの家族や友人は必ず応援してくれます。

ちなみに、来年の1月1日は夢や目標が叶いやすいといわれる日、
「朔日=新月」です。

自分の2014年の夢や目標を「書き言葉」にして記してみましょう!


このブログを読んでいただいた方の2014年が、
自分らしく過ごせる素敵な1日1日の積み重ねになることを願っています。

次回の更新は1月5日小寒の頃です。

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「大雪」の季節です。

2013/12/10 09:43
今週は先週からずっと出張で、いつもの白井明大さんの「日本の七十二候を楽しむ」の本を持参していないため「大雪」の解説はお休みです。

画像
(東京駅近くにある大手町の通信総合博物館(休館中)の「陽甲」です。)

 最近東京への出張の帰りがけに皇居によりちょっと寄り道をして、あの勇気をもらった場所に立ってきました。

実はこの作者のオブジェは我が故郷の福島空港(「向福鳥」)にもあります。
昨年の今頃も、出張先の京都駅(「朱甲舞」)でも出会いました。
私にとって良く流れが変化するタイミングで、この作家のオブジェクトに出会います。

彫刻や絵画の趣味は人それぞれであると思います。
好きな作家も様々だと思いますが、私はこの作家(清水九兵衛さん(、1922年5月15日 - 2006年7月21日)の作風がとても好きです。

清水さん以外でターニングポイントで出会うのは岡本太郎さんです。
岡本さんも絵(2D)も素晴らしいのですが、
なんといっても彫塑物(3D)の迫力が好きです。


学校を卒業し、東京に夢求め(正確には北海道ですが、能力不足のため東京に島流しにあいました)紆余曲折し、
結果的には身体に大きなダメージ(交通事故による脳内出血)を負って、
逃げ帰るように田舎の福島へ帰郷しました。
東京でしていた様々な仕事も交通事故によって手放しました。

あんなに嫌(いや)で、嫌(きら)いで飛び出した福島ですが、
帰郷するといろいろな意味で傷ついた身体と心を優しく包んでくれました。

帰郷して数か月して、
これからは福島で働き福島の土になると決め地元の会社に就職しましたが、
諸事情で1年間また東京で働くことになりました。

このオブジェクトは二度目の東京進出?のとき、
クライアントのビルの近くにあったオブジェです。

 当時、私はSE(システムエンジニア)としてIT(情報技術)の仕事をしていました。

仕事上で打ち合わせをさせていただく技術者やクライアントの方々の頭の回転の速さや、仕事の緻密さに度肝を抜かれ、とても、とっても太刀打ちできないと思いました。
その歴然とした実力のギャップに対して半ば諦めたような終息感がありました。

自分のどこかで「もっとできるはずだ」という自分と、
「あんなに凄い人たちに太刀打ちできやしない」といった諦めが交錯していました。

いまから当時のことを思うと、
「何をあんなにあせっていたのだろう・・・?」と、
思います。

やはり人には役割があるようです。
どんなに自分がつまらないと思った仕事でも、
あまりにも苦しくて投げ出したくなる仕事でも、
全ては自分自身のために目の前に現れてきた
「事象」であるということ。

結論から言えば「乗り越えられない障害物は用意されていない」
ということだと思います。

どんなに惨めなことでも、
不思議とどんなに恥ずかしい思いをしても、
後からになって、「あっ!そうだったんだ」と思える日が必ず訪れます。

そのために必要なことは、目の前の障壁から目を逸らさないことです。
目線を逸らしたり、閉じてしまうと、
怖かったり億劫になってしまい、障壁を乗り越えるのに余計に時間がかかってしまいます。

どんなに辛くても、苦しくても目の前の出来事から目を逸らすことなく、
一歩、一歩進んでいくことが大切であると思います。

否、一歩を歩みだすのが難しいときは、つま先にグッツと力を入れ、目線を障壁のほうにに保つだけでもよいのだと思います。
不思議と目線が決まると自然と物事が収まっていきます。



 初めに紹介したオブジェクトは、底なし沼に沈み込んでしまいそうな弱い私の心に、
一陽の光のような、「元気」と「勇気」を授けてくれたオブジェクトでした。

今回、東京駅近くで出会った「陽甲」は、改めてそのことの大切さを教えてくれたように思います。


これからの1年1年が、誰かと比べるのではなく、
愚直に、真摯に目の前の出来事に目を向け意識を向けていきたいと思います。

 そんな想い(決意)新たにしたからではないと思うのですが、
大切な友人の紹介で新たなビジネスモデルの構築の研修や、
コミュニケーションギャップの解消や心の病を軽減する研修を、
受講してきました。

私の大好きな福島そして東北で、様々な形(セミナーや研修会)で
お伝えしていきたいと思いますので、ご要望があればおっしゃってください。

あなたや、皆さんの組織や会社で必ず役立つと思います。
ぜひお声がけください。

「結果」を変えるには「行動」を変えなければなりません。
「行動」を変えるためには「考え方」を変えなければなりません。
「考え方」を変えるためには「見方」を変えなければなりません。
「見方」を変えるためには「気づく」ことです。

「気づく」ために先ずすることは・・・・

行先(方向など)を決めることです。


あの赤い(朱色)のオブジェクトは私に、
「さぁ!行く方向を決めなさい」ということを気づかせてくれたオブジェクトです。


「結果」を変えるための手法を一緒に考えましょう。
一人一人が自分の使命や遣るべきことが、す〜と心の中に落ちてくるように・・・。


このブログを読んでいただいた全ての方の「心」に穏やかなひと時が訪れますように。

次回の更新は「冬至」のころです。
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時節は「小雪」です。

2013/11/23 09:02
「小雪」

 寒さが進み、そろそろ雪が降りはじめるころのこと。
とはいえ雪はさほど大きくなく、寒さもそこまでではありません。

「小春日和:こはるびより」

 旧暦十月のことを小春といって、新暦では十一月か十二月上旬にあたるころ、
それまでの寒さが打って変わって、暖かな日差しに包まれた陽気になるときがあります。
そんな日を小春日和といいますが、何日か暖かい日が続くと、春の花が勘違いして、咲き出すことも。
小春日和の早咲きは、帰り花や忘れ花、狂い咲きなどといわれます。


「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



画像
(母の納骨式のとき、季節はずれの「桜」が咲いていました)

まさに「帰り花」なのかなと思いました。
不思議なのですが、納骨する前にはこれまた季節はずれの蝶が舞い、
お墓の高台の木々では小鳥たちがさえずる様に鳴いていました。

やはり「想い」はいろいろな容(かたち)や
姿(すがた)を代えて届いたり、
届けられたりするのかなと思ってしまいました。

小鳥は鳴いているというより、詠っているといった感じでした。

穏やかな陽の光のなかで、そんな小鳥のさえずりを
聴いているうちに秋川雅史さんの、
「千の風になって」のメロディを思い出しました。

もともとは外国で朗読や歌われてきた詩だそうです。
この原文の詩は作者不詳といわれ、
マリリン・モンローの二十五回忌に詠まれたり、
アメリカでは同時多発テロの一周忌の日に朗読されたりしました。

原文は「Do not stand at my grave and weep」というそうです。


 私の墓前で泣くのはやめてください。

 私はそこにいません。
 眠ってなんかいません。

 私は千の風となって大空を駆けています。
 私はダイヤモンドのきらめきとなって雪に舞っています。
 私は陽の光となって熟した穀物にふりそそいでいます。

 私は優しい秋の雨となっているのです。

 朝の静けさの中、
 あなたが目覚めるとき湧き上がる雲となって
 小鳥たちを輪に描いて舞わせます。

 私は夜に輝く静かな星となって、
 あなたを見守っています。
 
 だからどうか私の墓前で
 泣くのをやめてください。

 私はそこにいません。
 私は死んではいないのです。

 新しく生まれたのですから


東日本大震災のとき、
「御遺体がないことを肯定する詩だからけしからん」などど
批判され、この詩の賛否が問われた時がありました。

遺族の心痛に想いを馳せた時、
その気持ちは理解できます。

やはり「形見」がほしいと・・・。


「形見」のない別れという意味では
戦争等で亡くなられた遺族の方も同様の想いだったのかも
知れません。

私の実家には出征(出兵)をした人が
いないのでわかりませんが、
私の育った地域には出征した人が南方で戦死し、
肉体は還らず粗末な骨壷代わりの和紙の包みに「砂」が
入っていたということを幼い時に聞いたことがあります。

砂を拝み見た家族の心痛はもちろんですが、
砂しか入れてあげることが出来なかった戦友の想い鑑みるに
心痛み胸が詰まるのを、おぼえます。


改めて今こうして、ここに「在る命」と、
先祖が代々つながってきてくれたことに
感謝せずにはいられません。

と同時に自分の家族のみならず、
これから「来る命」のために
精一杯この寿命を使命のために、遣っていきます。



画像
(大切な人の健康回復のために御参りした慧日寺)

慧日寺とは(出典:ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/ 恵日寺(磐梯町)2013/11/22/23:55)
慧日寺は平安時代初め、807年(大同2年)に法相宗の僧・徳一によって開かれた。徳一はもともとは南都(奈良)の学僧であったが布教活動のため会津へ下り、勝常寺や円蔵寺(柳津虚空蔵尊)を建立し、会津地方に仏教文化を広めていた。また、徳一は会津の地から当時の新興仏教勢力であった天台宗の最澄と「三一権実論争」とよばれる大論争を繰り広げたり、真言宗の空海に「真言宗未決文」を送るなどをしていた。徳一は842年(承和9年)に死去し、今与(金耀)が跡を継いだが、この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3,800を数えるほどの隆盛を誇っていたといわれる。


先日、具合の芳しくない友人の快気を願って
会津磐梯町の慧日寺に行ってきました。

なぜ慧日寺かといいますと薬師如来を祭った社寺だからです。

慧日寺は「会津五薬師」の東方薬師如来:東方青竜で
他に、
中央薬師如来の勝常寺、
北方薬師如来の大正寺:北方玄武、
西方薬師如来の調合寺:西方白虎、
南方薬師如来の慈光寺:南方朱雀が在ります。


最初に慧日寺に訪れたのは20年以上前になります。
恵日寺の記念館がオープンしたての頃でした。

その当時の想いは、失礼ですが
こんな会津の山奥に、1200年以上前に
このような文化(生活×つないでいく想い)が、
根付き華開いていた時期があったのだと
関心したことを憶えています。

慧日寺が「薬師如来」を祭ることを知ったのは、
十数年前です。

当時はこのように立派な復元はなされておらず、
杉林に礎石や敷石などがごろごろとあるだけでした。

今では立派な「中門」と「金堂」が復元されています。

このような文化が1200年も前に
福島の地に華開いていたことに、
改めて「感動」と「感激」をおぼえます。

1200年前は今よりもとても不便な世の中だったと思いますが、
先人たちの苦しい中で受け継いできた
「想い」があったからこそ、
いま、こうして私たちは幸せに暮らしていけます。

心から先人、先祖に感謝いたします。

同時に、これからの未来に対する責任に
強く決した今日でした。

12月5日は震災から千日目にあたります。
肉親や友人や先祖や尊敬する先人に、
少しだけ想い馳せる時間を取ってみましょう!

このブログを読んでいただいた方の未来に、
素敵な光が射し込みますように・・・。


次回の更新は大雪の頃です。

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季節は「立冬」を過ぎました。

2013/11/08 23:31
ブログは止めてしまったのかい?との問いに・・・。

もちろん、止めていません。

づぅ〜と続けますよ(^^)v

私の中で更新のタイミング(バランス)が、今になってしまいました。

私にとってはGOOD!
タイミングです。(笑)

画像
(秋になっても「考え続ける亀」です。)

「立冬」

立冬とは、冬の気配が山にも里にも
感じられてくるころのこと。

木々の葉が落ち、冷たい風が吹き、
冬枯れのようすが目立ってきます。

次候のことば 「落ち葉焚き:おちばたき」

道沿いの垣根に、山茶花の花が咲いていると、
ふっとそこが明るくやわらいだような印象を受けます。
落ち葉を掃き集めて家の前で焚き火をするなど、
今では見かけなくなりましたが、
童謡に歌い継がれる通り初冬の風物詩です。
もともと中国ではツバキ科の花を総じて山茶というらしく、
山茶花の花が椿によく似ていたため、混同されてその名がつけられたようです。

「山茶花の垣一重なり法華寺 夏目漱石」

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


画像
(可憐な花を沢山まとった庭先のりゅうのひげが、【約束】どおり黒紫の実を沢山つけました−嬉しいです!−)

【約束】とは言っても、
竜のひげからしたら「お前と約束した覚えはない!」
と言われそうですが・・・。

どんなときも「嬉しかったり」「楽しかったり」するのは、想いがあるからです。

物事が起こっている瞬間(とき)だけを見ていたら、
良くも悪くも無く
また、嬉しくも悲しくも無く
そして、楽しくも苦しくも無いです。

実はこの「竜のひげ」は夏に薄桃紫色の可憐な素敵な花をたくさんつけていたもので、
以前プログで更新した「それ」です。
http://abe-blo.at.webry.info/201308/index.html#0810

あのとき素敵な桃色の花を見て、
きっと秋にはキラキラ光る黒紫のはち切れそうな実が、
沢山生るだろうと思っていました。

先日、目に留めたとき
この様にたわわに実っていなければ、
私自身きっとがっかりしていたに違いありません。

でもよくよく考えると
想ったのは「竜のひげ」が思わせたのではなく、
「自分自身」=阿部憲夫、本人です。

中学生のころ婆ちゃんに
「のり!想ったとおりになるんだから、やる前がらクヨクヨ考えるな!」
と言われたことを思い出しました。

そのときは「行動が大事で頭で考えるな」と言われていたのだと思っていましたが、
きっと勘違いであったと思います。
でた結果は望んだ結果であっても、望まない結果であっても、
ある意味では「想ったとおり」だということ。

結果がでる前に、良いことも悪いことも考えている訳ですから・・・。

どちらの場合(結果)も必然で、
BESTのタイミングで訪れているということ。

まさにバランスがちょうど良い具合に保てるために、
「物事」が展開されている感じ・・・。

この数週間(霜降から立冬)は、
まさにそのバランスを保つための数週間でした。


プラスの結果もマイナスの結果も、
本人(憲夫)の経験値を考えればたいした問題ではなかったのかもしれません。

プラスの事が良くて、マイナスの事はすべて悪いか?

と問えば?

決して「マイナス」は悪いとはいえないと、自覚する今日この頃です。



ブログを読んでいただいた皆さんにとって、
目の前に起こる出来事が一瞬(いま)望まないことであっても、
皆さんのこれからの1日1日にとって、
素敵な栄養(活力の素)となりますように・・・。

次回の更新は小雪の頃です(^^)






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寒露から4日目の朝

2013/10/12 07:46
画像
(湯沢のホテルから鳥海山を望む-この写真は今日の写真ではありません)

寒露(かんろ)

寒露とは、露が冷たく感じられてくるころのこと。空気が澄み、夜空にさえざえと月が明るむ季節です。

釣瓶落とし(つるべおとし)

秋が深まり、日が傾いてきたかなと思うと、
あっという間に空が茜に染まり、
日が沈んでしまいます。

釣瓶落としとは、そんな秋の夕暮れをいうことば。
釣瓶とは、井戸から水を汲み上げる滑車を使った桶(おけ)のことですが、
日の沈む早さを、井戸の底へ釣瓶がサーッと落ちていくようすにたとえます。

公園で遊んでいる子どもたちが、
一散に家へ帰った幼い日の記憶に重なるように、
真っ赤な 夕焼けには胸を締めつけるほろ苦さが。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト
)


秋の夕暮れは本当に地球の廻るスピードが速くなったのかな?
と思うくらいに夕闇が迫ってくるのが早いように感じます。

白井さんの文にあるように、夕焼けにはほろ苦さがあります。
 今までの楽しい時間が奪われるようで・・・。
 家に帰れば家族の楽しい時間があるのだけれど・・・。
夏の夕焼けとは違ったちょっぴり寂しい感じと、
自分の基(もと:我家、望郷、ふるさと、母)に帰っていく感じがします。

この夕焼けに雁などの鳥が飛んだら、
それだけでウルウルです。

 茜色は緋色(ひいろ)ほど明るくなく、深緋(ふかひ)ほど暗く(深く)なく、
なんとも言い表せない優しさを含んだ色です。

茜色の夕暮れはいろいろな季節でありますが、
私にとっては、秋の茜色の夕暮れが一番すきな空です。


きっとこの秋の季節が影響しているのだと思います。
夏の色のある世界からだんだんとセピア色の風景に変わっていく、

農家の実りの象徴である稲作が「稲刈りと脱穀」を終え、
田んぼには切り株と乾いた水田が広がるからかも知れません。

また、体感する気温の変化も昨日まであんなに暑かった日々が、
あれっ!?どこに行ったの?
と思うくらいに変化していきます。

まさに変化の秋です。


言い訳になってしまいますが、
このブログが4日ほど遅れたのも、
変化の秋ならではかなと思っています。

人それぞれでターニングポイントとなる年齢や
次期があるかと思いますが、
私の場合1年の期間で見た場合は、断然「秋」です。

変化が起きてほしくないなと想いつつ、いつも変化が起こります。
否、自分自身が期待しているのかもしれません。

もちろん変化の中には、素直に享受できない様な変化もあります。

知識や経験がないことが目の前に現れることで、
拒否しようとする、否定しようとする自分が居たりします。

「情けないな・・・」と哀れみたり。
「なぜ今のタイミング・・・・よ!」と怒ってみたり。
それを強烈に感じる2週間でした。


その強烈な体験は自分自身にとって
初めての体験の出来事でもあり、
なかなか次のステップに進むことをためらっていました。

今までの心地よい楽しい空間から放り出されるような、
今いるところから帰りたくないような・・・

まさに、茜色の秋空の気分です。


でも、よくよく考えれば、何もないところからスタートしているこの身、
いわば始めに、基に戻るだけのこと。

次のステップやステージに進むために、
また障壁に向かって歩き出すことを決めました。


私が今の仕事をさせていただけるのは、
いろいろな方との出逢いがあったからです。

出会いだけでなく、その出会いの中で叱咤激励や
仲間として切磋琢磨できたからに他なりません。

その中でも今の仕事のベースを作るうえでは
二箇所の会計(税理士)事務所にお世話になってきました。

どちらの事務所も良い意味で個性があり、
私の物事の捉え方や考え方を形成する上で、
とても影響を頂いた会社でもあります。
二つの会社で出会った仲間や縁をいただいたお客さんには
感謝しても仕切れません。


その様な想いもあり、公的な機関からの依頼以外では、
積極的に会計(税理士)事務所と研修会やセミナーは
実施してきませんでした。

しかしながらこの福島の地を鑑みた時、
個人の思いだけに止まらない考え方や活動が必要であると、
決心いたしました。

早速その初動のセミナーやイベントを開催します。

【「人財」への第一歩! 従業員強化教育セミナー】
〜部下に思いが伝わらず、困っている管理者向け〜

http://kokucheese.com/event/index/120539/

締め切りが間近ですが、
「結果」を変えたいと思われる方や、
「結果」を変える必要がある組織の管理職の方、
是非ご参加ください。


【Read For Action まちぐるみ読書会『まちヨミ』 in 郡山】
〜復興を先導する次世代リーダーの発掘とコミュニティを創出する〜
http://kokucheese.com/event/index/115730/

何かはまだ見定まらないけれど、この福島の地で生きていきたい、
この福島の地をもっと良くしていきたいと思われる方、
老若男女・経営者・社員・もちろん学生・生徒どなたでも、
参加が可能です。


いろいろな変化が起こっている2013年の秋、
一緒に変化を楽しみましょう!

このブログを読んでいただいた皆様に、
素敵な秋空が拡がりますように。

次回の更新は霜降のころです。

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今日は「秋分」の日」です!

2013/09/23 16:18
次候のことば 「おはぎとぼた餅」

秋分の日にお供えするおはぎは、春にはぼた餅と
呼ばれます。この二つは同じもの。
ただ昔は、秋に収穫したての小豆を
そのままつぶあんにしたものがおはぎ、
冬を越して固くなった小豆をこしあんにしたのが
ぼた餅、という違いはあったようです。
春の牡丹、秋の萩に見立てて、牡丹餅、御萩と呼びました。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



先週末に福島県只見町という所にお伺いしてきました。

じつは数年前に福島県只見町の「地域人材育成ダイヤモンドプラン事業」のお手伝いをさせていただき、
その卒業生から連絡を頂いたことがきっかけで、彼の処に行って来ました。

そもそもこの「地域人材育成ダイヤモンドプラン事業」は
町の教育委員会が主体となり平成22年度より
「広い視野を持ち地域を理解する人づくり」を目指し、
只見町をさまざまな分野でけん引していくリーダーを養成する目的で
実施されています。(現在も続いています)
http://www.tadami.gr.jp/koho/kouhou2/2010-7/482-2-3.pdf

只見町の概要:
http://www.tadami.gr.jp/gaiyo/gaiyo.html

ちなみに只見は「南郷トマト」ブランドの一大生産地です。

今回お伺いした卒業生は第2期生「産業を興す人材育成講座 :只見独自の特産物を開発する( 只見ブランドなど)、只見の資源を活用し産業を興す人材を育成する」の方で、
只見でトマトを作っている農家の方です。
http://okuaizutomato.sakura.ne.jp/index.html

只見町は「雪のふるさと」とも言われるほど
雪の多い地域です。
年間の半分は雪で農業ができにくい所と揶揄され、
資材や技術が発達した今でも当地で農作物を育てるのは、
困難が伴う土地です。


私が訪れた彼はそんな過酷な土地で、家族とともに大地に根を降ろし頑張っていました。

頑張ってはいますが、
その根っ子は土から栄養を吸い上げる力が
とても弱っているように思われました。

根っこが弱った原因も、本人は自覚していました。

本人いわく
「外から来た者なのに生意気だったんです」
「農業は土地(先人)から恵みをいただくのに、土地(先人)への感謝がなさすぎました」

私にはそれが地域(先人)への懺悔と感じました。

田舎で「いきる」とは、
「活きる」前に
「生きなければ」なりません。

「生きる」前に
「居きなければ」なりません。
「居きる」とは
そこに「在る」ことです。


実は、私の実家も祖父の代(明治末期に)に仙台から
二本松というところに移り住んだ家系です。

よそ者(敢えてあまり好きでない言葉を使います)が、
今まで在った土地(先人の地)に新しく入って仲間になることの
苦労や心痛は祖母から聴いていました。
その悔しさや切なさや、惨めさは祖母の言葉からも
窺い知ることが出来ました。

農家でも家柄が少し良いとこらから嫁いだ祖母は、
「よそ者」と言う言葉にとても敏感に反応する人でした。

それだけではなく、分家である我が家は
農作をする土地も在りませんでした。

よく祖母が「わがい(我が家)は村一番の貧乏だ」と言っていました。

きっと村の人が意地悪をしたとかではなく、
祖母のコンプレックスだったのだと思います。

祖父は小作をしながら一畝、一畝づつ田畑を買い求めていったそうです。
どんなに痩せた畑でも、どんなに水の不便な田んぼでも、
自分の土地で作物を作物を育てられる喜びはひとしおであったと思います。



その土地に入り居ることの厳しさを
只見の彼から聞いているとき、
ふとそんなことを思っていました。


このような状況になるのには自覚しているように、
きっと彼の言動に問題があったのかもしれません。

何が問題だったのか、彼の口からは「私の未熟さからです」と
笑顔を見せるばかりでした。


彼が作っているトマトの品種は、
イタリアではよく熱を加えて利用されるという「サンマルツァーノ」
画像
(近く(とはいっても15分ぐらいかかる)の圃場で育てられている「想いの結晶」のサンマルツァーノ)

生食では味よりも食感のほうが勝るトマトですが、
熱を加えるとビックリするくらい甘く濃厚な素材に変化しました。
(農家を手伝っている娘さんにとてもおいしいスープを頂きました。)

このほかにも「仮称:会津ルビー」というサンマルツァーノのフレッシュの食感と
今までのおいしいトマトの食味を合わせた品種も作っています。
ピッツァなどの上に少し厚めにスライスし、モッツアレラチーズと一緒に焼くと、
このトマトのなんともいえない甘みと食感が増して、いっぺんでファンになってしまいました。
画像
(写真は圃場の会津ルビー:これを使った娘さん特製のピッツァを頂いたのですが、ピッツァの写真取り忘れました(^^;))

お伺いしたときはお嬢様がいろいろと料理をしてくれて、
同行した仲間とともに「至極の時間」を堪能させていただきました。

ちなみに連絡していただく時、
阿部の名前を出していただいても、安くはなりませんが、
一つ二つはおまけがつくかもです(笑)
(1Kg単位で宅急便発送(送料別途)もしてくれます)

いろいろな意味で「生きていく」ということは、
様々な障壁や、課題や、問題に出くわします。
そんなときは、きっと自分自身を試されているのだと思います。
逃げ出したい気持ちと戦いながら、
目をつぶってしまいたい恐怖の心と向き合いながら
歯を食いしばり、じっと前を見据えていくこと。
見つづけることがとても大切です。


今回、只見にお伺いする一番のきっかけを作ってくれたのは、
只見でがんばっている彼はもちろんですが、
一番は仙台の青果卸売業者の方からの熱烈な希望があったからです。

この彼は先の震災の津波で、沿岸倉庫に入れておいた冷凍みかんが大きく
被害にあった方です。
この彼は公的に開設されている相談窓口にみえ、開口一番「倒産する方法、
自己破産する方法を教えてください」と言って窓口に来られた方です。

間違いなく彼もこの東北でなくてはならない方になると信じています。
一度挫折を味わい、土を噛み、泥水を飲み這い上がってきた彼です。

その彼は只見でがんばっている方の話をしたとき
「先生行くべ!会ってみで!」
その一言で今回の訪問が実現しました。

モノの価値は「想いの価値」
何度も、何べんも使っている言葉ですが、
今回は私にとっても素晴らしい気づきと温かい、
そして篤い想いを戴く出来事となりました。

本当に出会う方に感謝です。

否、不必要な方には出会わないのだと、心から思います。
出会いに、ただ、ただ感謝するのみです。

このブログを読んでいただいた方にも素敵な必然の出逢いがありますようにに・・・。


次回の更新は寒露のころです。
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9月7日は「白露」でした。

2013/09/11 11:19
ブログ更新を怠けていました。

画像
(九州に出発する前の羽田駐機場にて)


白露のこの時季の初候は「草露白(そうろ しろし)」は、 草に降りた露が白く光る時季だそうです。
朝夕の冷え込みは、あの残暑を忘れさせてしまうかのようです。

今回の号は出張中のためいつも引用させていただいている
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」 白井 明大 (著)
さんからの候のことばはお休みです。

この本を本屋さんで見つけたときはとても感動しました。
書籍評論家の人は文書力がない著書だと意見を述べておられた方もおったようですが、
私は大好きです。

日本にある四季の変化を心から愛(め)でている感情や想いがとても感じることができるからです。

四季の移り変わりだけではなく、その四つの季節を六つに細分化し、周りの環境の変化を感じ取る文化がこの本にはあります。
そのすばらしいタッチはこの本のイラストをお書きになっている 有賀 一広のタッチそのものです。

優しいという言葉では言い表せない奥深さや思慮深さ
まさに「お・も・て・な・し・V」の心なのだと思います。


節が変わったのにブログの更新を怠けていたSNS(ソーシャルネットワークサービス)をしていない知人から
「生きているのか!」って励まし?のメールを数件いただきました。

本当にありがたいことです。

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(瀬戸内海上空にて)

フェースブックやツイッターが普及したことで、
共感や意識を合わせることがやさしくなったような気がします。

否、正直であったり素直にできるようになった感じがします。

SNSは決してツールは万能ではありませんが、
時間や距離をとても優しく(あえて)してくれます。

それは、画面を通してでも会話ややり取りが1回から2回、2回から3回、3回から数回と何回もできるからなのだと思います。

相手を想い打つコメントは手紙やラブレターそのものです。
本来、日本人が持っている能力(短歌や俳句)なのかもしれません。


昨年、1年近くこのブログの毎回のまくらで古今和歌集などの歌を引用させていただいて思いました。
古い時代のころより短いメッセージにこめる優しさや想いは素晴らしいです!


もちろんSNSなどのツールには弱点や危うさもあると思います。
しかしそのツール(本当はそのなかでやり取りされる「想い」)を信頼したとき、すばらしい体験やすばらしい出会いがあります。

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(JR博多駅をバックにいろいろな出会いに感謝して)

じつはこの9月1日から始まった出張でも事前にそのツールがなければ出会えない人や訪れることができなかった場所もあります。
フェースブックなどのSNSを信頼して活用するとき、ものすごい新たなセンサー(第六感)が発露?発育されるのを感じます。

いろいろな場面で、縁(えにし)をいただいた全ての方と、目や耳や口や鼻や肌のセンサーに刺激を与えてくれた「モノ=波動=周波数=波」に、感謝したいと思います。

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(罰当たりとは思いましたが、出雲上空からパチリ)

このブログを読んでいただいた皆様にも、素敵な出会いや体験が訪れますように・・・。

次回は9月23日の秋分のころです。
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「処暑」です。

2013/08/25 09:51
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(近くの雑木林の幹にて)


処暑とは、暑さが少しやわらぐころのこと。朝の風や夜の虫の声に、秋の気配が漂い出します。

涼み舟・納涼床
 
 川をゆっくりと行き交う船に揺られ、涼をいただく涼み舟は、暑い季節の夜の楽しみです。屋形船に集い寄り、宴の席をもうけて旬の天ぷらなどを味わい、おいしいお酒に酔いながら、夜風にあたるのも風流です。また京都では、鴨川や貴船、高雄などの川辺に床を出し、涼をいただく納涼床も。川の流れをそばに感じて、京料理を楽しむひととき。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



私の住んでいる「福」の「島」は日中こそまだ暑い日がありますが、朝夕は散歩をしていても清々しくて、
夜の虫の音は騒々しく感じるほど、大合唱の時季となってきました。

朝、近くの雑木林を愛犬と散歩をしていると「蝉の抜け殻」を見つけました。
幼少のころ夏休みになると蝉やカブトムシなどを取りによく出かけていました。

蝉は幼虫の時期に地中で6〜7年(アブラゼミ)過ごし、
地上で1ヶ月ほど成虫として過ごすといわれます。

蝉の一生は儚(はかな)い命とよく言われます。
確かに地上に出てきてからの期間は、地下で過ごしていた期間からする
ととても短いと感じます。

でも蝉にとっては地下の方が、地上よりよっぽど安全で過ごしやすい場所なのかもしれません。

蝉の羽化を見ていると、土から這い出るときの慎重さや、無防備な状態での羽化や、羽化を終えてからの心許なさは、命を懸けて地上に出(い)でたのかなと思います。

命を懸けて出でてくるのは、もちろん一番は子孫(いのち)を繋いでいくためであると思います。


ツナグと言えば夏休みの終わるこの時期に思い出すことがあります。
それは婆ちゃんとのエピソードです。

私の育った場所は、裏山だけでなく自宅の全てが自然一杯で夏の間は虫取りに行かなくても虫が家の中に飛んでくる環境でした。
ただし、家の中に入ってくる昆虫は、カブトムシや蝉などの欲しい昆虫ではなく、どちらかというと要らない昆虫でした。

小学校の3年生か4年生の時だったと思います。
新しい虫かごを帰省していた叔父さんからプレゼントされ、嬉しさのあまり蝉やカブトムシや蝶など、ありとあらゆる昆虫を虫かごに入れていました。
プレゼントされてから3日ぐらいたった時でしょうか、朝虫かごを覗くと昨日まで取った昆虫がすっかりいなくなっていましたた。
虫だけであれば逃げていったのかと思いますが、ご丁寧にも虫かごに入れておいた木の葉も全てなくなっていました。


朝食の支度をしている母に「なじょして虫捨てただ!一生懸命取ったのに!なして!」と泣いて難じていました。

すると納戸にいた祖母から
「のり!なに我侭いってんだバガたれ!虫の身にもなってみろ!!」

その後もすごい剣幕で、
「おめえに掴まんなげれば、今頃空自由に飛んでだんだぞ!お前が捕ったがら虫はみじめったらしい虫かごに入れられてんだべ。」
「3日も閉じ込めたら充分だべ!蝉も7年間も土の中で、やっとで出来たらお前に捕まって可愛そうだべ!」
「最後ぐれ放してやれ!バガたれ!!」

自分の子供が私と同じように羽化前の蝉の幼虫を取ってきた時、
羽化後数日間観察し、婆ちゃんに教えてもらったとおり、近くの雑木林に放しました。

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(そのとき子供が描いた羽化の様子です)


こうやって「虫に対してのおもい」が繋がれていくのだと、今朝蝉の抜け殻を見て思い出しました。

夏休みの終わりの週末になると、大好きな婆ちゃんのことを思い出します。


時間は「流れていく」のではなく、
「積み重ねていくもの」なのだと、
時間を受け取るものが意識する(積み重ねる)ことによって
「意義あるもの=有意義」にできるのだと、心から思います。



「時間(とき=いのち)をつなぐ」

今日という日(とき)の1日は
何時から始まるのであろうか

明日という日は
どこから明日になるのであろうか

今、この一瞬(ひととき)、一瞬の積み重ねが
今日をつくり、明日をつくる

今までもそういった積み重ねが1日をつくってきた

時(とき)は、それぞれに等しく降り注ぐ

受け取った時間を「幸せ」に受け取ることもできるし
「辛い」時間に受け取ることもできる

受け取る者の心の持ち方で変わってくる。

受けた時間(とき=いのち)を「有意義」なものにするために
この一瞬(ひととき)を大切に生きてゆきたい

この一瞬(ひととき)に感謝して生きてゆきたい

過去から未来へと、
今という時間(とき)を生きているものとして

つないでゆきたい




暑い日々が続きますがブログを読んでいただいた皆さんに心地よい爽やかな秋風が訪れますように

次回の更新は白露のころです。

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「立秋」から3日目の朝

2013/08/10 07:23
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(可憐な花を沢山まとった庭先のりゅうのひげ-秋に黒紫の実を沢山つけます-)

本来立秋とは「秋立つ日」で朝夕はなんとなしに、ひんやりと秋を感じる時季ですが、
今年は異常なまでの暑さや、暴力的な豪雨が目立つっています。
この豪雨で亡くなられた方のご冥福と不明な方の一刻も早い救出を願っています。

被害を受けた地域が早くに立秋の初侯である「涼風至る」となるように・・・。


次候のことば 「灯籠流し:とうろうながし」

八月十五日は月遅れ盆、そして終戦記念日でもあります。先祖の霊を送る灯火を川に流す灯籠流しには、戦火に散った人々への祈りも込められます。広島では原爆の日、八月六日のとうろう流し。
長崎では古くから、初盆の霊を船に乗せて見送る精霊流し(しょうろうながし)の慣習があります。夜の川面にいくつも静かに流れていく灯籠には、そのひとつひとつに祈りや思いが。

*おもざしのほのかに燈籠流しけり  飯田蛇笏   *おもざし・・・おもかげ。顔つき

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



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(出窓のグリーンカーテンの花に蜜を集めに来たくまんばち:はなばちかも?)

懸命に羽をはばたかせ、花から花へと飛び回り蜜を集めています。
自分が食べるだけであれば、こんなにも動き回らなくてもと思ってしまいます。

子孫のためであるからこそ、種を残すために雨上がりの朝から飛び回っています。

今回の豪雨の報道で、あるTV局のコメンテーターが
「こんな昔に造った堤防、もっと行政がしっかりしていたらこんな被害にはならなくて済みましたよね」といった発言をしていました。

昔(戦後早くに)造作された堤防の土砂崩れの工事をもっと早くに改修すればとの意図であったのだと思いますが、
私には正直、腑に落ちないコメントでした。

勿論、スポンサーの意図やコメンテーターの個人的な価値観を基に放送されるのですから
あたり前といえばあたり前なのでしょうけれど、
「こんな昔に作った堤防を改修しないまま使っていることが信じられません」の言葉には
とても悲しい思いがしました。

ならば決壊するまえに、堤防の脆弱性を報道してほしいと切に願います。

確かに昔の堤防です。構造が弱い部分もあります。
でも先祖がどんな思いでこの堤防を作ったのか?
堤防を造った先人たちの想いを推し量ったのか?

報道は確かに「事実」をもとに報道がなされますが、
極端に言うと「真実」は伝えません。

受けての我々に「慎」を見抜く力量が求められます。

先人たちがなぜに堤を造ったのか?
自分たちの食い扶持を少なくしても、自分たちの休日を返上してまでも
土木作業をしたのか?

決して自分のことだけや、自分の家族だけのことだけを考えていたら、
堤という形にはならなかったと思います。

勿論、個人の権利は大切だと思います。

でもここ数年の異常な災害や事故を考えるにあたって、
30年後の我々の子孫や地域という視点に立ったところで今を考えることが大切なのかなと思います。


もう直ぐ月遅れ盆です。
私は墓参りが大好きです。
先祖の前に行くと心が落ち着きます。

この週末はちょっと出かけますが、
戻ったらとても好きな香りをかいで心落ち着かせて盆を迎えたいと思います。

ちょっとお高いのですが彼岸や盆や大切な行事の前にお香をたいて心落ち着かせます。
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(お香「花の花」)
現在もなお、年間23万箱以上も売れ続けている「香水香 花の花」。現代のフローラルなお香の基礎にもなったブランドが1000年にわたる日本の香文化や、400年の歴史をもつ薫香づくりの技術と西欧から伝わった香水文化が見事に結合し、「香水香」の代名詞として日本画の巨匠、伊東深水の名画にも描かれた名香「花の花」は明治44年(1911年)、かの「毎日香」を生み出した一代の天才薫香師、「天薫堂」こと鬼頭勇治郎によって世に送り出されました。
(株式会社日本香堂さんホームページより)


このブログを読んでいただいた方に、素敵な風が届きますように・・・。


次回の更新は処暑のことです。

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23日は「大暑」でした。

2013/07/27 07:21
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(週末に俄かにこさえたガーデンテラス)

「大暑たいしょ」

 大暑とは、もっとも暑い真夏のころのこと。
土用のうなぎ、風鈴、花火と、風物詩が目白押し。

旬の草花 桐きりの花

 初夏、桐は淡い紫の花を梢にたくさん咲かせます。
そんな桐の花を処女歌集のタイトルにしたのは北原白秋でした。
「私は何時も桐の花が咲くと冷たい吹笛フルートの哀音を思ひ出す。」
想いを寄せる女性への恋心などを赤裸々に歌った歌が、
歌集「桐の花」には収められています。
 
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



暦の上では「大暑」ですが、
この数日間の朝夕は薄手の長袖をきていても寒さを感じます。

もっとも暑い季節のはず・・・・。
日中の外出でも、半袖では寒さを感じることもあります。

過去にもこんな節があったかなとWebを見てみましたら
冷夏(平年に比べて6月〜8月平均気温が低い夏)の年がありました。

一番記憶に鮮明なのは1993年の「米騒動」があった年です。
米が不作で卸米の取り合いになり、東南アジア等から緊急輸入をしました。
インディカ米の食感や味に慣れることができなかった人も数多く居たと思います。

幸い私の実家が稲作をしており、自家消費米を分けていただいていたので
ジャポニカ米を食べることができていました。
当時県営住宅に住んでいて駐車場から部屋まで「お米」を運び入れるのに、
えらく周りの目を気にした思い出があります。

そのほかの年では2003年の冷夏です。
東北地方ではとうとう梅雨明け宣言がされませんでした。
そのころは家族で海に釣りをしによく出かけていた時期で、
思い出してみると海岸線の道がすいていて、
浜辺にも海水浴客が少ない記憶があります。


私が子供のときは「冷夏」と言う言葉より
「冷害」と言う言葉のほうが強烈に残っています。

といいますのも前述のとおり私の生まれ育った家は農家です。
兼業農家ではありましたが、秋の稲作の出来、不出来は
当家の家計事情に大きな影響を及ぼしていました。

小学校5年生の今ぐらいの時期に、じいちゃんが
「のり、手伝え!稲藁もって田んぼ(圃場)に行くぞ」と
田んぼに連れて行かれ、
畦道で稲藁と杉の枯れっ葉を燃した記憶があります。
(冷害の予防のため田んぼ一帯の気温を
上げたかったのだと思います)

その時じいちゃんに
「なじょして、こだごどすんの?(なぜこんなことするの?)」
と聞いた記憶があります。
答えてもらったか記憶が定かではないのですが、
そのときのじいちゃんの形相がとても「畏怖」というか
「恐怖心」を抱いたような顔つきだったことを覚えています。

火の番兵をさせられ、
稲藁がなくなったら手伝いを終わらすことが出来ると思い、
稲藁をキャンプファイヤーのように燃やしてしまい、
じいちゃんにひどく怒られ、叩かれた思い出があります。

今でしたらその燃やす意図(ゆっくり、じっくり燃やすこと)も
十分に理解できます。(笑)

冷害とは、稲作の節目(分けつ・出穂・開花)の時期、
低温の影響で出穂が止まったり、
出穂しても穂の数が少なかったり、
お米が実らなかったり、収穫が極端に少なくなることです。

祖父が形相を変え、叱ったのは経済的にも影響が出る
稲作の「冷害」への懸念からです。



田んぼの周りで藁を燃したぐらいで気温など上がるか?!
私もそう思います。
【ムダな行為なのではないか】

稲藁を燃したとき、
栽培している稲に火が付くことを心配した近所の人に
怒鳴られていたことを記憶しています。
会話は聴こえませんでしたが、
謝っている事は遠めに見てわかりました。

もしかすると祖父にも確固たる思いはなかったかもしれません。

でも、
「やらない理由」や「出来ない理由」を考えることより、
「今やれることを精一杯やる」という想いだったのだと思います。
(まるで「ハチドリのひとしずく」です)

目の前のことが自分の手で解決できないような
「大きな壁」であったり、
乗り越えることが出来ないような「障害」であるとき、
出来ない理由や、やらない理由を考えてしまいます。


そんな時、じいちゃんが耳元に来て・・・、

「のり、やれ、先ずはやれ、
愚だ愚だ(ぐだぐだ)言うのはそれがらにしろ!」
と耳元でささやきます。(否、怒鳴ります)


今は、そんな声をありがたいと思えます。

自分の趣味や楽しみや贅沢をしなかった祖父、
頑固なまでに自分の信念を通した祖父、
地域では変わり者であったと思います。

人に土地をお借りして(小作人から)稲作をはじめ、
惨めなことや、やるせないことや、辛いことなど
数多くあったことと思います。
その環境下で家族を守り、育ててくれたことに、
感謝しかありません。


「信念」を貫くということは
決して平穏な道ではないと思います。
容易くはないかもしれません。

だからこそ心は
「ワクワク」する「楽しい」気持ちで、
浮かれるのではなく、
「ウキウキ」した気持ちで、
前に進んで生きたいと思います。


このブログを読んでいただいた皆さんに、
前に進むきっかけや、
壁を乗り越えるヒントが訪れることを願っています。

次回の更新は、8月7日「立秋」のころです。

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昨日は「小暑」でした。

2013/07/08 05:11
「小暑しょうしょ」

 小暑とは、梅雨が明けて本格的に夏になるころのこと。
この小暑から立秋になるまでが、暑中見舞いの時期です。

候のことば 七夕

 空から降ってくるほどの満天の星空を見たことがありますか。梅雨空で見えないことが多いですが、乳をこぼした跡ともいわれる天の川の、きめこまかな星の群れは、夜空にきれいにかかります。天の川をはさんで、こと座のベガが織り姫の星、わし座のアルタイルが彦星の星。雨で川を渡れないときは、カササギに乗って、ふたりは会いに行きます。

 別るるや夢一筋の天の川  夏目漱石
 
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


昨日の七夕も空模様が芳しくなく、
夢一筋の天の川も見えた地域と見えなかった地域があるようです。
こればかりは天気次第なのでどうにもなりません。

もちろん雲の上では逢っているのでしょうけれど・・・。


早いもので今年度も後半に入りました。
年の初めに立てた目標も、順調に進んでいるものもあれば
気持ちばかり焦っていて、行動と結果が伴わないものも
出てきました。

本日は「新月」です。
新たな目標や行動の計画を立てるには最良の日とされています。
歳の終わりに自分自身が納得できるように後半戦も
1日1日大切に積み重ねていきます。


話は変わるのですが下の写真は私が永年(16年)使っている電機剃刀器です。
なんと我が家の電化製品で一番の長生きさんです。
実はまだまだ現役なのですが、替え刃が既に6年前に製造中止になっており、
買い溜めて置いた替え刃もなくなってしまいました。

モノは大切にするほうなので、まだ稼動するこのシェーバーをすぐに捨てる気になれません。
スイッチのところは使いすぎて文字は消え指の形に少しくぼんでいます。(笑)
今までがんばってくれた相棒に感謝の想いをこめて写真を撮りました。

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ずーと動き続けてくれてありがとう。

今日から新しいシェーバーですっきりとした顔になって、
後半戦へ突入です。

このブログを最後まで読んでいただいた方にも、
梅雨が晴れ、すっきりとした夏空が訪れますように。


次の更新は7月23日 大暑のころです。

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昨日は「夏至」でした。

2013/06/22 07:04
「夏至げし」

 夏至とは、一年でもっとも日が長く、夜が短いころのこと。
これから夏の盛りへと、暑さが日に日に増していきます。


候の草花 うつぼぐさ

 冬至のころに芽を出して、六月〜八月に紫色の花が花穂(かすい)にいくつも咲きます。
夏枯草(かごそう)とも呼ばれ、花穂を煎じて飲むと利尿や消炎作用が。また煎液はねんざ、腫れの塗り薬にも、うがい薬にも。
英名はall-heal(すべてを癒す)。
 
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



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(我が家玄関のトレリスに掛けられているパンジー)

パンジー(Pansy)はスミレ科スミレ属(Viola)の花で1800年ごろから北ヨーロッパでスミレを品種改良して作られた花だとか。
二十の頃は「パンジー」という言葉は、なよなよしている男性等に使用する軽蔑した言い方だと思っていました。

ネットで調べてみると、
花が人間の顔に似て、8月には深く思索にふけるかのように前に傾くところからフランス語の「思想」を意味する単語パンセ(pensée)にちなんでパンジーと名づけられた。このその由来のために、パンジーは長い間自由思想のシンボルだった。(出典:「パンジーより一部抜粋」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年6月21日 (金)17:45)

そのほかにもフランス語(pensée)には「考え」や「 思い出がおこるもの」という意味があるそうです。
花が枯れることになると確かに前に傾いてきます。
今度じっくり「深く思索にふけっているか」見てみようと思います(笑)

(次の写真は門扉のところにある「考える亀」です)
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どんな時も「考える」こととは重要です。
私は「考える」より先に「感情」や「行動」が前に出てしまいます。

子供の頃の話になりますが、私がやんちゃだった時期に祖母から
「憲は、やることが考えなしだ!」
「なんでもっと考えてから行動しねんだ!」と、よく叱られたものです。

その時は「うるさいな、ちゃんと考えでいるで!」と思っていました。
今でも家内から「あなたはどうして後のこと考えないでそんなことするの」と
相変わらず考えない癖は治らないようです。

自分としては「考えて」行動しているのに・・・・と思っています。


ところで「考える」とはどういう事なのでしょうか?
ネットで検索しましたら以下のような解説がありました。

かんが・える 〔かんがへる〕 【考える/▽勘える】
[動ア下一][文]かんが・ふ[ハ下二]

1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
判断する。結論を導き出す。「こうするのが正しいと―・える」「解決の方法を―・える」「よく―・えてから返事をする」
予測する。予想する。想像する。「―・えたとおりに事が運ぶ」「―・えられないことが起こる」
意図する。決意する。「留学しようと―・える」「結婚を―・える」

2 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。「周囲の状況を―・えて行動する」「くよくよ―・えてもしかたがない」

3 工夫する。工夫してつくり出す。「新しいデザインを―・える」

4 問いただして事実を明らかにする。取り調べて罰する。「―・へられつる事ども、ありつる有様、願をおこしてその力にてゆるされつる事など」〈宇治拾遺・八〉

5 占う。占いの結果を判断・解釈する。
「いまだかやうの事なし。いかがあるべきと―・へ申せ」〈平家・一一〉
[用法]かんがえる・おもう――ともに精神的な活動を表す語であるが、
「考える」は知的に分析することであり、
「思う」は情的、感覚的な心の働きや瞬間的な判断などを示すのに用いる。
「クイズの答えを考える」とはいうが「思う」とはいわない。

◇大音響を耳にしてすぐ口にするのは「雷が落ちたかと思った」であり、「考えた」ではない。
◇「彼女のことを思う」は、思慕したり、心配したりすることを表すが、「彼女のことを考える」と言えば、より分析的理性的にその状況について思いめぐらすことを表す。「将来は医師になろうと考えている」といえば具体的な手だてまで含めて計画していることであり、「思う」では漠然と希望しているだけという感じがする(出典:「kotobank」デジタル大辞泉の解説:小学館)



調べてみて【思う】と【考える】ではそんな違いがあったのだと納得しました。

婆ちゃんに怒られていた場面を思い返すと・・・・・・・・、
確かに!場当たり感情的な行動が多かったように思います。

これからは気をつけて行動しようと思います。
否、考えます(笑)

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(バルコニーアーチの根本にあるラズベリー)

10年前に植えたラズベーリーが段々と実を付け出しました。
我が家ではラズベリーが初夏と晩秋に2度実をつけますが、
今の時期のラズベリーは種が柔らかく食べやすいので,
食すのは今の時期のラズベリーです。

花や木々というのは本当に正直です。
手を掛ければ掛けただけ、綺麗な花や美味しい実をつけてくれます。
10年ぐらい家庭菜園や木々の手入れをして気づいたことがあります。

自分にとって都合の良い手入れをしたときは、不思議と病気や害虫にやられます。
しかし、手入れのタイミングや土の入れ替えなど、花木にとって一番良いであろう時期に行うと
ビックリするくらい綺麗な花や実をつけてくれます。

まさに、組織の人財育成となんら変わるところがありません。
これからも花々や木々から色々なことを教わっていこうと思います。

このブログを最後まで読んでいただいた方にも、一つ一つ素敵な花や実が成りますように

次の更新は7月7日 小暑のころです。
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本日は「芒種」です。

2013/06/05 20:28
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(photolibrary 写真素材-フォトライブラリーさんから戴きました)

「芒種ぼうしゅ」

 芒種とは、稲や麦など穂の出る植物の種を蒔くころのこと。
稲の穂先にある針のような突起を、芒(のぎ)といいます。


候のことば 農事暦とかまきり

 畑仕事の目安となる七十二候に、かまきりが登場するのはなぜでしょう?
稲や野菜には手をつけず、害虫を捕まえてくれるからかもしれません。とはいえ、そんな人間の都合はおかまいなしに、かまきりにはかまきりの生態があるだけです。生き生きと。
 
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


今回のブログはちょっと長いです。


突然ですが皆さんは本を読むことが「得意」ですか?
私は苦手でした。


正確には苦手というより、本を読むこと自体が苦痛でした。

苦痛になったのは小学校の夏休みからです。
そうです読書感想文からでした。

社会人になってもきらいでしたので雑誌以外の本は1年間に2〜3冊しか読んでいませんでした。

なぜかといえば本を読むことに楽しみや有益さを感じなかったことが一番です。

でもある本に出会ってからその考えは一変しました。
その本のタイトルは「ザ・ゴール」呼んだことがある方もいるかもしれませんが、
黄色い表紙の本で、工場の業務改善プロセスを主題にした本です。

当時ISO取得のコンサルをやり始めたばかりでコンサルの先輩に薦められた本が「ザ・ゴール」でした。
読み始めてすぐに夢中になって初めて1冊の本を一気に読んだ本でした。

その本のおかげで今は本を読むことは大好きです。

でも困ったことがあります。
本を好きになったことは良かったのですが、読みたい本が次から次に出てきてしまい、購入した本を読まないうちに次の本を購入してしまいます。

最近は自分の好きな小説などよりビジネス本などが多いこともあるかもしれませんが、すぐに読みたいと思って購入した本でも「読書」まで到達せず、机の上に「積読:つんどく」状態になっています。

本当は本から得たい情報や学びたい事等の目的があって購入した本なのに・・・。

本の購入代金のことが気になっても、限られた時間の中ではなかなか読み進めることができないでいました。
また、もったいないと読み始めても、十数ページで挫折してしまい、終わりまで読んでいない本が何冊もありました。


でも、最近とある「読書法」を学習してから本の読み方が変わりました!

実は積読の本の高さが低くなってきています。

この方法を覚えると・・・
自分自身で【今までなんで気づかなかったんだろう?】
【なんて無駄な時間を費やしたのだろう!】と思うほどの方法でした。

それまで「なんちゃら速読法」や「フラッシュ読書法」や「フォトリーディング」などの方法も試してみました。
もちろんそれらの方法が最良の方もいらっしゃるのだと思いますが、私には合いませんでした。

でもRead For Action が展開する読書会で教わった「読書法」は違いました。


ところで、皆さんはビジネス書をどんな風に読みます?

もちろん好きな小説や作家の本は1ページ目から読まれると思いますが、
仕事などのビジネス書はどうですか?

それまでの私は1ページ目から読んで、修行のような苦痛の3日間(私の場合ほとんど3日間位かかっていました)を過ごしていました。

でも、1ヶ月も立つと読んだ本の中身で覚えているのは、悲しいことに10個前後のキーワードと前後の文章の雰囲気だけでした。

もちろん大切なワードなどは手帳などにメモをしていますので、それはそれでその本を読んだ意味はあるのですが、その効果を得るまでに要した修行のような3日間の辛さがあるため、何冊も読むぞー!とはなかなかなりませんでした。

そもそも私がビジネス本を読むのは、
本を読みたいというよりは読んで得た知識や知恵を使いたいから、
得た知識を使って行動を変えたいから、
行動を変えて結果を変えたいからです。

そうなんです。

なぜ本を読むかといえば、
「結果を変えるために読書をしている」
といってもよいと思います。

エッセイや小説は自分の心を心地良くするために読むので、心穏やかになればよいのですが、
ビジネス関係の本は結果的に読んだ後の行動の変化までもって行きたくて読む場合がほとんどです。

あたり前といえばあたり前ですが、そんな単純なことをシンプルに教えてくれたのが
Read For Action が展開する読書会でした。


どんな方法かは「体験する」のが一番です。

頭で理解するより体で理解するほうが【行動】につながります。

百聞は一見にしかず
  (いくら人から聞いても、自分で見なければ本当のことはわからない)
百見は一考にしかず
  (いくらたくさん見ても、考えなければ前に進まない)
百考は一行にしかず
  (どんなに考えても「行動」を起こさなければ前には進まない)
百行は一果にしかず
  (どんなに行動をしても、成果を残さなければ成長しない)

このことを教えてくれたのが東京で行なわれた「読書会」のセミナーでした。


なんと!その「読書会」のセミナーがこの福島県いわき市で開催されます。

参加者全員で1冊の本を読む「読書会」です。

どんな読書会?

「結果を出すための行動につなげる本の読み方を仲間とともに学ぶ」
読書会です。


どんなに「読書」が嫌いな人も大丈夫!
結果を変えるために知識を得ることの大切さや
本当の意味での知識を生かす方法まで学べます。

365日のうちの4時間で読書に対する新たな考え方の1つを得ることができます。
ぜひ一緒に参加してみませんか?

開催要項は以下のとおり。

詳しくは下記へ

申し込みはコクチーズの締め切りが終わってしまったので、直接事務局へ

【まちぐるみ読書会(通称 まちヨミ)】

開催:2013年6月8日(土) 13:00〜17:00
会場:いわき産業創造館 企画展示ホール
参加費:1000円(課題本は別途各自購入し持参する)
課題本:「Business model YOU」今から間に合わない方は事務局へ相談してください。
主催:Read For Action、いわきリエゾンオフィス企業組合(事務局)
後援:いわき市、いわき商工会議所、いわき産学官ネットワーク協会、いわき明星大学、東日本国際大学、福島工業高等専門学校、福島民報社、福島民友新聞社、いわき民報社、鹿島ブックセンター

【参加申し込み方法】
@事務局へ「電話」、「FAX」、「メール」で
 ・お名前、連絡先住所、電話番号、メールアドレスをお知らせください
事務局 いわきリエゾンオフィス企業組合
〒970-8026 いわき市平作町2-1-9 エスビル2F
TEL 0246-35-1430 FAX 0246-35-1431
E-mail:info@iwaki-liaison.co.jp


本日は長くなってしまって申し訳ありません。

このブログを最後まで読んでいただいた方に写真のような素敵な青空が広がりますように
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昨日は「小満」でした。

2013/05/21 22:47
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(両親を連れ旅行した松島にて−1)

「小満しょうまん」

 小満とは、いのちが、しだいに満ち満ちていくころのこと。草木も花々も、鳥も虫も獣も人も、日を浴びてかがやく季節です。

あおあおとした緑、さわやかな風、気持ちいい意五月晴れの季節です。

候のことば  木の葉採(と)り月

ちょうどこの時期にあたる旧暦の四月には、木の葉採り月という別名があります。蚕のえさである桑の葉を摘むころ、という意味です。
養蚕は戦前まで日本で盛んで、たくさんの桑畑が広がっていました。蚕は美しい糸をはいて繭をつくり、その繭から絹の糸がとれます。東北では蚕の神さまを、おしらさまと呼んでいました。

 まゆひとつ仏のひざに作る也  小林一茶

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)



 今頃から初夏の時期になると昔の農家は少しでも現金収入を確保するため、田植えが終わる時期から蚕さまを始めました。

私の近所の農家は田植えがようやく終わっても、落ち着く暇なく蚕さまを迎い入れる準備で大忙しでした。

私の実家でも二十数年前までは養蚕をやっており、今の時期は腰の曲がった婆ちゃんが蚕さまの桑の葉(芽桑)を桑畑に取りにいって、たがら(運ぶためのかご)一杯に桑の葉を取ってきていました。

取ってきた桑の葉は稚蚕が食べやすいように細かく刻んで与えますが、就学前の私は切り刻んだ桑の葉を稚蚕に与える手伝いをしていました。

成虫になった蚕さまが桑の葉を食べるスピードのは目を見張るものがあります。
また、葉を食む音も蚕さまの数が多くなると、食べている音が飼育をしている部屋全体に響いてくるくらいです。


今は田植えも機械ですし、養蚕をやる農家もほとんどなくなってきています。
腰の曲がった婆ちゃんがせっせと田植えをしたり、蚕さまの飼育をしたりする光景を懐かしく思います。


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(両親を連れ旅行した松島にて−2)

 ゴールデンウィークに私の両親を連れ出し仙台の松島と白石の鎌先温泉に行ってきました。
昨年に子供が巣立ってしまったこともありGWが暇になったこともありますが、家内の母は昨年病気で亡くなり、私の父も生死を彷徨う病気を患いました。
いつまで両親が元気に居られるか心配で、行きたい時に行けなくなるような気がしていたからかもしれません。


 周りからは親孝行だねなどと言われますが、親孝行というより、私の我侭で両親と家内を連れ立って行ってきたというほうが正しいかもしれません。

両親の、特に父の歩き方や食事をする動作のスピードは覚悟をしていたとはいえ、想像以上にゆっくりとした動作のスピードでした。

そのゆっくりした動作が、 愛おしくて、ありがたくて、ありがたくて、
 この両親のおかげで今の自分が居るのだと、心の中で「ありがとう」を繰り返していました。

 思春期のころ、あんなにいやだった父親、父親に従順すぎた母親、両親を大嫌いになった時期もありました。
両親のみならず、ひどい貧乏さに爺ちゃんや阿部家そのものを否定しそうになった時もありました。

自分の命を否定しそうになった時もありました。

でも、今回両親と一緒に旅をして、私自身も命の輪廻の中で出会うべくしてこの両親に出会い、出会うべくして家内に出会い、命をつないでいることを実感しました。


両親が生んで育ててくれたこと、そしてこうして生きて居てくれていること、そして未だに支えてくれていること。

すべてのことに対して本当に心から「ありがとうございます」と言いたいと思います。


 今回の旅行を通して身体に感じた温かい感情は、婆ちゃんが繭から取り出した真綿と古着で作ってくれた半纏の暖かい感じと似ていました。


いのちが次第に満ち満ちていく季節、このブログを読んでいただいたすべての方が温かな気持ちになれますように。

次回の更新予定は芒種の頃です。



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(私を生んで懸命に育ててくれた自慢の両親です)
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昨日は「立夏」でした。

2013/05/06 09:31
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(路面に面した手入れ前の花壇)

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(手入れが終わった花壇)

「立夏りっか」

 立夏とは、しだいに夏めいてくるころのこと。あおあおとした緑、さわやかな風、気持ちいい意五月晴れの季節です。

候のことば  畦(あぜ)の蛙

田んぼの水辺からこんもり盛り上がっている畦。
田と田の間の畦道を歩いていると、水面へぴょんと飛ぶ、小さな蛙がいるのに気づきます。人の気配におどろいて、畦の草むらから飛び出します。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


五月になると、農事(水稲や畑)が忙しくなります。
百姓(農家)の三男坊でしたのでよく実家の農事の手伝いをしました。
この時期は田んぼへの水稲苗の定植の時期で、どちらの農家でもこのゴールデンウイークの最大のイベントは「田植え」でした。
代掻き(稲の根が張りやすいようにするのと雑草が生えにくくする)をして、稲の苗を水田へ植えつけます。
私が小学校の低学年ぐらいまでは、人の手で稲を植えていました。

一日中腰を曲げた状態での作業のため、子供でも腰が痛くなったのを思い出します。

白井さんの本にあるように、あぜ道を歩くと蛙が本当にぴょんぴょん飛び跳ねます。
私のところの田んぼでは小さな蛙ではなく冬眠を過ごした親蛙でした。

その頃のことで鮮明に覚えているのは田植え後の木の芽採りです。

どの家庭でも田植えが落ち着き水田一杯に稲の苗が植えられると、裏山や近所の山に出ている、木の芽(タラの目やこしアブラ)やうどなどを採取しました。

あるときタラの目の群生を見つけ喜び勇んで全ての木の芽を取ろうとした時、
じいちゃんが
「コラ!のり、お前はなして強欲張りだ!全部取ってしまうなんてみっともねー真似すんでね。二つ芽が出てたら1つだけ、三つ芽が出てたら2つだけとんだ。1つは必ずのごしておがねど駄目だ!そうすっと、あどがら来た人も、タラの木も元気になんべ!強欲張っては駄目だ。いいが、よーぐ覚えでおげ」


今でもこの季節になるとタラの目の甘く苦い思い出とともに、じいちゃんの言葉が思い出されます。


このブログを読んでいただいた方すべてに素敵なある風が吹きますように。

次回の更新予定は小満の頃です。


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本日は「穀雨」です。

2013/04/20 11:14
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「華満開の三春滝桜を観る」

詳しくは?:ウィキペディアの執筆者,2013,「三春滝桜」『ウィキペディア日本語版』,(2013年4月20日取得,
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E6%98%A5%E6%BB%9D%E6%A1%9C&oldid=46784490

どこでしょう?:




「穀雨こくう」

 穀雨とは、たくさんの穀物をうるおす春の雨が降ることのこと。
この季節の終わりには、夏の始まりを告げる八十八夜が訪れます。

候のことば 春眠暁を覚えず

 このことばは「朝が暖かくなり、つい寝坊してしまった」というニュアンスでいわれますが、本当はちょっと違うとか。
もともとは昔の中国、唐の時代の孟浩然という詩人が書いた詩の一節で、「夜明けが早く、いつのまにか朝が訪れるなんて、つくづく春だなぁ」という意味。
長い冬を越え、朝の訪れが早まる春。
めざめると鳥が鳴き、日が降り注ぐ、陽気に包まれた季節のよろこびに満ちています。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)


当地福島も「候のことば」にあるように朝の訪れが早まり、陽気に包まれた季節の喜びに満ちた年にしてゆきたいです。

 現在東日本大震災及び原子力災害によって本来の居住地域を離れて生活している方が全国に31万人弱います。
そのうち自分が育った県以外へ避難している方が65千人ほどいます。
福島県は原子力災害の影響もあり未だに55千人強ほどの方が県外での生活を余儀なくされています。

 人間の我欲で起こしてしまった事故は人間の手で始末しなければなりません。
自然のように春がきたから朝が早くなることはありません。
自分たちの想いや活動で春を呼び起すことが必要です。

 話は変わりますが、私の住んでいる地域のご近所に「滝桜」の近くに建造された「三春ダム:桜湖」の影響で湖底に沈むために転居された地区があります。

自分たちの命を繋ぐために、今まで住み慣れた、とても、とっても愛着のある「生きてきた地」を離れ別の場所で日々を過ごしています。

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(転居した地区「見渡神社」にあるしだれ桜を観ながら安達太良山を望む)

この桜は枝垂桜といって「三春滝桜」と同じ種類の桜です。
湖底に沈む住民が、かの地を離れこの地で生きることを覚悟した時、万感の想いでこの地にこの桜を植えたことが想像されます。

電力や用水は我々の生活を豊かにする大切なものには変わりありません。
それによってどんなにか便利に快適に暮らさせていただいていることは、紛れもない事実です。

しかし、その一方で生まれ育った大切な、とても大切な土地で暮らすことが出来ない人たちがいることも、
決して忘れてはならないと思います。

先日訪れた三春滝桜を見て、その凛とした立ち姿からそんなことを教えられた気がします。
「決して忘れるな!今見ている華は、その華の蔭には沢山の、大勢の願いの蕾が隠れているぞ!」

今の現状をよく見て・観て・視て・診て・看て、次の世代に渡していこうと思います。


このブログを読んでいただいた方に素敵に輝く朝が訪れますように。

次回の更新予定は立夏の頃です。
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本日は「清明」です。

2013/04/05 23:21
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(玄関先の”考える亀”です)


「清明せいめい」

 清明とはすべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。
若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。

 清明祭シーミー

 沖縄では清明に、先祖供養のシーミー(又は御清明ウシーミー)が
行なわれます。
もとは中国から伝わった風習で、親戚が集まり門中墓にお参りし、
重箱料理や酒、花を供えます。
備えた後は御三味ウサンミと呼ばれる鶏肉、豚肉、魚を蒸したもの
(地域や家族によっては三枚肉・昆布・かまぼこなどの重箱料理)を
いただきます。
泡盛を飲み、三絃サンシンを弾き、歌い踊って楽しむ行事です。

「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)

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先祖を供養する行為は「いま此処に在る」ことを感謝する行為に他なりません。
あたり前ですが今があるのは、今より前があるからに他なりません。
先祖が子孫の繁栄を想い願ったからこそ、今私たちはここに居ます。

結界の場所で先祖を想い感謝し、
改めて自分自身の今居る位置を知る(確認する)行為である
墓参りは、私にとってとっても大切な行為です。


 季節の移り変わりは本当に早いものです。
昨年の今の時期は長男の大学の入学式と次男の卒業と入学式で
パタパタしておりました。
両人とも我が道を目指すために親元を離れ歩みだして1年が経とうとしています。

お蔭様で両人とも大きな病気や怪我がなく1年を過ごさせていただきました。
本当にありがたいことです。

本人達にとって親元を離れ独り暮らしの生活はいろいろな意味で
有意義であったようです。

正月に戻ったときに母親に渡したその手紙の内容は感謝の言葉と
優しい言葉で溢れていました。

寮生活とはいえ周りに居る人は知らない人ばかり
 どんなにか寂しい思いをしたでしょう
  どんなにか辛い思いをしたでしょう
   どんなにか我が家へ帰りたいと思ったでしょう

そんな1日、1日の積み重ねが
彼らを逞しく、強くそして優しい人へと
変化させてくれました。

本当にありがたいことです。


話は変わるのですが、過日今年中学校を卒業する保護者から
嬉しい感謝の言葉をいただきました。
それはPTA会長のときに会員誌に寄稿した文章のことでした。

その親御さんはお子さんが希望した難易度の高い学校へ入学するため
寄稿した一文をお子さんに何度も言って聞かせたそうです。

実はその一文は私自身もお世話になった方からお教え頂いた内容です。

(以下内容抜粋)
未曾有の大震災から半年が過ぎようとしています。
被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
まだ目の前に起こっている放射能の問題や、
震災の影響で就業の場が減少するなど決して楽観できる状況ではないかもしれません。

 しかし何もかもが悲観的な状況ばかりとは思いません。
まさにこの原稿を書いているその時、日本女子サッカー「なでしこジャパン」が世界一になりました。
 不可能を可能にすることは言葉で言うほど生易しいことではありませんが、
彼女達のひたむきなプレーや、厳しい条件のなかで力の限り最善を尽くしている姿をみると、
越えられない壁は目の前に現れないのだと、心の奥底から思いました。

 白沢中の子供たちが発する言葉の中に、「やればできる=I Can Do It」
「何事にもがんばる=I Do My Best」という言葉があります。
その源になっているのは「想い=心の持ち方」です。

「可能=Possible」と「不可能=Impossible」を分ける差は何か?
それは【Iam(I’m)=自分自身】です。

心の持ち方を考える時、子供が一番の手本とするところは、
身近な存在である我々保護者です。

保護者が「どうせ無理なんだ」とか「やたってムダ」と言っていては、
自ずと子供の心に「できる」や「最善を尽くす」という気持ちは湧き上がりません。
我々保護者が子供たちの良き手本となれるように、
前を見据えて一歩一歩あゆんでいきましょう。



難関校に合格したのは文章そのものよりも
本人が努力したからです。

もちろんお母さんはじめご家族の支援や
学校の先生、そして地域の環境の賜物でもあります。

これから先も自身の夢や希望に向かって進んでいってほしいと思います。

このブログを読んでいただいた方の夢や希望が少しでも近づきますように。

次回の更新予定は穀雨の頃です。



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春分は太陽黄経が0度となって、昼と夜との時間が等しくなり、バランスの良い季節です。

2013/03/22 09:05
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(春を迎えた福の島にある唯一の国宝建造物「白水阿弥陀堂」、拝観時間が終わってしまい「はし」を渡れません)


「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」より引用
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4809410110/ref=sib_dp_pt#reader-link

「候のことば」 暁と曙

夜が明けようとしているが、まだ暗い時分のことを春暁といいます。
万葉の時代には、あかときといい、平安以降、あかつきに変わったとか。
曙は暁よりやや時間的に遅れ、夜がほのぼのと明けようとするころのこと。


わたしは「春分」から5月の「立夏」に向かうこの時季がとても好きです。
春に生まれたということもあるかもしれませんが、
この季節のいろいろなバランスが好きです。


寒過ぎず
 暑すぎない

暗くなり過ぎず
 明るくなりすぎない

濃過ぎず
 薄すぎない

片方の端からみれば他方への憧れが強くなります。

寒いときは暑いほうがいいと言って、
暑いときは寒いほうがいいと言う。

まるで
お伽ばなしの「北風と太陽」の力比べにあるように、
北風にも、その良さや強さがあり、
太陽にも、その強さや良さがある。

本来暑いときには「暑さを楽しむ」文化があった・・・
寒いときには「寒さを凌ぐ」知恵があった・・・

今ある状態が事実であって
本来は望んだ結果が「今ここにある」・・・

本来「今ここにあるもの」を力任せでねじ伏したところで
押された空気は別の場所に移動するだけ。

「今ここにあるもの」があること自体が
素晴らしく、素敵なことなのに・・・。


私たちは五感に感じれるもので「良さ」や「強さ」を感じている。
決して【感じたもの】ではなく、
【感じられるもの】で判断をしている。

目の不自由なご老人に「よくみてほしい」と言っても
目のセンサーは疲れている・・・

耳の不自由になったご年配者に「よくきいてほしい」といっても
耳のセンサーは疲れている・・・

しゃべることが億劫になった識者に「よく はなしてほしい」といっても
口を開かせるセンサーは疲れている・・・


もしセンサーが不自由になったら
「見えなくなったり」「聞こえなくなったり」「言えなくなったり」してしまうのか?
それによって「感じることができなくなってしまう」のか・・・

否、【感じられるもの】そのものからではなく、
わたしたちは【感じたもの】から発せられるメッセージを
感じ取ることができる。

周りのすべてのものが発する「なにか」に対して『敏感』になるとき
ありとあらゆる「素敵なこと」が感じるようになる。


この季節は特に自然からの「ささやき」や「薄香」などのメッセージが
内から外に向けて発せられる。

陰と陽、闇と光はどちらが上でもどちらが下でもなく
片方から見れば十分によさや強さがどちらにもあり、
互いに必要不可欠な存在。

この季節は、「はし」と「はし」の真ん中でバランスを感じるにとてもよい、
「再考・再校・再興・最高」の季節です。


春分になり「出会いや別れの交錯する季節」
あらためて自分自身の存在や、
周りの大切な存在の【気配】に心寄せてみましょう。

このブログを読んでいただいた方に、陽の光が燦々と降りそそぎますように。

次回の更新予定は清明の頃です。


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啓蟄虫戸「蟄虫(地中のむしが)戸を啓(ひら)く」日です。

2013/03/05 09:48
本日は「啓蟄」春の暖かさを感じて、冬ごもり「蟄」していた虫が外に這い出てくる「啓」時節だそうです。
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(厚雪に耐え玄関のミニロックガーデンに咲く「ガーデンガールズ:ギョリュウモドキ」です。)

本当はいつも引用させて頂いている本から
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4809410110/ref=sib_dp_pt#reader-link

「候のことば」
石走る垂水の上のさわらびの
 萌え出づる春になりにけるかも
                志貴皇子


これに続く所感を、
春のウキウキした心持を書こうと思いましたが、
一昨日の北海道での痛ましい報道をみて書くのを止めました。


自分の臨死体験から
人の生死は必然であると思っています。

しかしながら9歳の娘を守った父の想いを推し量った時、
どんなにか無念であったろうか・・・。

独り逝くと悟った時、
どんなにか心配であったろうか・・・。

託した命の重さと、託された命の尊さを
改めて感じ入ります。

ご冥福をお祈りいたします。


「命」

宿った命を「宿命」というのなら

次の世代に命(想い)をつないで運んでいくことは
「運命」です。

苦しい命も楽しい命も自分のためだけでなく
どのように使って往くかが、まさに「使命」です。

生きてきた命「生命」を終えるとき、
「幸せであったと」「ありがとう」と居得る命になることは
「寿命」です。

この「命」の循環をすることが
「天命」であると心から想います。



啓蟄なり「冬来たりなば春遠からじ」とはいうものの
まだまだ冬厳しき東北より・・・。

このブログを読んでいただいた方に、陽の光が燦々と降りそそぎますように。

次回の更新予定は春分の頃です。
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昨日は「雨水」でした。

2013/02/19 21:28
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(photolibrary 写真素材-フォトライブラリーさんから戴きました)

「雨水」とは暖かさに雪や氷が解け出し、空から降ってくる雪が雨に変わる季節だそうです。
暦には二十四節気の1つの期間を3分割した七十二候というものがあります。


以下Wikipediaより引用
七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。
二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと[1]。
各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。
中には、「野鶏入水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)のような実際にはあり得ない事柄も含まれている。
古代中国のものがそのまま使われている二十四節気に対し、 七十二候の名称は何度か変更されている。
日本でも、江戸時代に入って渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成された。
現在では、1874年(明治7年)の「略本暦」に掲載された七十二候が主に使われている。
俳句の季語には、中国の七十二候によるものも一部残っている。
(七十二候『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2013年2月18日04時08分(日本時間)現在での最新版を取得)


私の愛読書にもこの季節、候のページに以下のようなことが載っていました。
「日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―」
 白井 明大 (著), 有賀 一広 (イラスト)
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4809410110/ref=sib_dp_pt#reader-link

雨水-初侯 土脉潤起(ど みゃく うるおい おこる):早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおいめざめるころ。
古くは「獺魚を祭る:かわうそ うおを まつる」という不思議な季節とされていました。


暦はもともと中国で創られ中国では雨水の初候を「獺魚を祭る」としていたようです。
獺(かわうそ)は川獺とも書き、川の中で魚をよく捕らえることは知れ渡っています。
川の氷が溶けると川獺は魚を捕りはじめるそうです。
川獺は魚を捕らえて捕獲した魚を食べる前に川岸に並べてから魚を食していたようです。
並べた様がお祭りのときに神様にお供えした供物のようであったことから、そのような候が述べられています。


どんなに積もった雪も季節が廻るにしたがって解け出し、空から降ってきた雪も雨へと変化していきます。
水は周りの状況によって硬い氷になったり、水蒸気になったりします。

この地福島で起こった原子力発電所の爆発事故も水を熱し水蒸気を得るための施設でした。
水蒸気は気圧や温度によって雲に変化し、条件によってまた地上に雪や雨となって降り注ぎます。

我々人間をはじめ動物や植物も、それらの循環の恵みで生かされています。
雪かきのしんどさを思うと恨めしい降雪も、一方では田畑を潤し我々の命の水となります。


雨水を過ぎ、一日一日と暖かくなる季節の巡り合せに感謝しながら、次の季節を迎えたいと思います。
このブログを読んでいただいた方にも、少しづつのあたたかな日が積み重なりますように。


次回の更新予定は啓蟄の頃です。
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